伊勢田 哲治著
「踊っているのでないのなら 踊らされているのだろうさ」は神林長平の「狐と踊れ」の巻頭句です。
あまり踊らされたくはないものです。そして騙されたくもありません。まあたいていの人は同様に思っていると思いますが…。
ですから、効果があるのかどうかわからない事象や物質に対して時間もお金もかけたくはありません。
しかし早々何が正しくて何が間違っているのかわかるものではありません。
というわけで読んでみました「疑似科学と科学の哲学」。
でもこの本、「○○は疑似科学、××は科学」などと一刀両断に断言してくれる本ではありません。様々な事例をもとに、疑似科学と科学の違いをただひたすらに考え続ける本です。
その思考過程はエキサイティングというかスリリング。今まで考えても見なかったことが次から次へと出てきます。
たとえば天文学と占星術。天文学は科学だが、占星術は科学ではない。しかし昔は天文学と占星術は切っても切り離せない密接な関係だった。ではいつから占星術は科学ではなくなったのだろう、それとも今でも科学なのか。
いったい科学ってなんなんだろう、自分の立っている土台が足元から切り崩されるこの感覚。センス・オブ・ワンダーに満ちあふれた本です。
当たり前のように思っていたことさえ、いざ疑問に思って考えはじめると複雑な問題を孕んでいたことがわかります。つくづく、「科学は信じるものではなく理解するものだ」という星新一の言葉を実感させられました。闇雲に信じていただけでは疑似科学を信じているのと変わりありません。
二重盲験法で鍼治療の効果を測定するのは困難だとかなんて、今まで考えもしなかったよ。そういえば、イーガンの「血をわけた姉妹」では三重盲験法が出てきたなぁ、などと思い出しながら…。
あまり踊らされたくはないものです。そして騙されたくもありません。まあたいていの人は同様に思っていると思いますが…。
ですから、効果があるのかどうかわからない事象や物質に対して時間もお金もかけたくはありません。
しかし早々何が正しくて何が間違っているのかわかるものではありません。
というわけで読んでみました「疑似科学と科学の哲学」。
でもこの本、「○○は疑似科学、××は科学」などと一刀両断に断言してくれる本ではありません。様々な事例をもとに、疑似科学と科学の違いをただひたすらに考え続ける本です。
その思考過程はエキサイティングというかスリリング。今まで考えても見なかったことが次から次へと出てきます。
たとえば天文学と占星術。天文学は科学だが、占星術は科学ではない。しかし昔は天文学と占星術は切っても切り離せない密接な関係だった。ではいつから占星術は科学ではなくなったのだろう、それとも今でも科学なのか。
いったい科学ってなんなんだろう、自分の立っている土台が足元から切り崩されるこの感覚。センス・オブ・ワンダーに満ちあふれた本です。
当たり前のように思っていたことさえ、いざ疑問に思って考えはじめると複雑な問題を孕んでいたことがわかります。つくづく、「科学は信じるものではなく理解するものだ」という星新一の言葉を実感させられました。闇雲に信じていただけでは疑似科学を信じているのと変わりありません。
二重盲験法で鍼治療の効果を測定するのは困難だとかなんて、今まで考えもしなかったよ。そういえば、イーガンの「血をわけた姉妹」では三重盲験法が出てきたなぁ、などと思い出しながら…。
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