僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい。
武者小路実篤の最晩年の随筆です。どんなに好意的に解釈しようとしても、首をひねってしまう文章でもあります。
しかし、人様の文章にたいしてとやかく言えるほどの文章を自分が書いているかというとそうでもありません。なにしろ高校生の時に、「内容は良いけれども句読点の使い方が間違っている」と言われたくらい、それも先生にではなく同級生に…。
しかし、考えてみると句読点の正しい使い方など授業で習った記憶が無い。単に授業を聞いていなかっただけかも知れないけれど…。
わかりやすい文章を書きたいものだと常々思っていたところ、本多勝一の「日本語の作文技術」という本が新装版として出たという事を耳にしました。
調べてみるとこの本、評判が良いのです。作者の評判は悪いけれども…。
まあ文章に関する技術論ですから、評判の悪い原因である思想的な部分の入る余地などないだろうと思い、書店で新装版「日本語の作文技術」をパラパラとめくってみると、この新装版、文庫版の七章までの部分を取り出したものだということを知りました。
文庫版の八章から十章までは技術論ではないので省いたそうです。しかし、文庫版は版を重ねていて現役らしい様子なので、文庫版「日本語の作文技術」を購入しました。
が…、文章の技術論に思想的な部分など入る余地も無いだろうと思いきや、いきなり臭ってきます。考えが甘かった。
「『アメリカ合衆国』は『アメリカ合州国』と表記する。理由については拙著○○を参照」なんて、技術論が知りたい人間にとってはどうでもいいことです。
しかしそれさえ我慢すれば、評判が良いだけあってわかりやすいです。新装版で作者が書いているように、八章以降は技術からかけ離れてはじめるので七章までしか必要ありませんでしたが…。
とはいうものの、技術論を抜きにすれば八章以降の方が面白いのです。
というところで前編はここまで。
お楽しみはここからだの後編に続きます。
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