池上 永一著
池上永一という作家は、とんでもない球を投げるけれども何処へ投げるのかわからないノーコンピッチャーという印象が拭えません。ちなみに、ここでいうとんでもない球というのは単に猛スピードの球のことではなく、魔球。
「夏化粧」は、魔球の度合いを犠牲にしてコントロールの方を重視した作品という印象があったんだけれども、読んでみたら違いました。というか、コントロールを重視してもここまで暴走するのかとあきれかえるやら、うれしくなるやら。
池上永一の作品としては珍しくオジィが登場して重要な役割を果たすのだけれども、やはりオバァには敵いません。作中ではすでに故人となってはいるものの、その存在感は圧倒的です。
「夏化粧」は、魔球の度合いを犠牲にしてコントロールの方を重視した作品という印象があったんだけれども、読んでみたら違いました。というか、コントロールを重視してもここまで暴走するのかとあきれかえるやら、うれしくなるやら。
池上永一の作品としては珍しくオジィが登場して重要な役割を果たすのだけれども、やはりオバァには敵いません。作中ではすでに故人となってはいるものの、その存在感は圧倒的です。
「みなさんごめんなさい。私は産婆に取り上げた総勢2369 人の子供たち全員に、まじないをかけてしまいました」
産婆であるオバァは自分にまじないの力があることに気付き、自分が取りあげた赤ん坊たちにとんでもないまじないをかけまくるのです。
「この子は逆上がりができない」「この子は跳び箱の三段が飛べない」といったまじないはまだかわいい方で、主人公津奈美の息子は母親以外には姿が見えないというまじないをかけられてしまうのです。
恐ろしいことにオバァのかけたまじないはどんなに荒唐無稽な内容であっても必ず効果を発揮します。オバァの所業を見かねた神様が、懲らしめのために悪夢を見させるのですが、翌日オバァは「悪い夢は神様にお返しします」と井戸に花束を投げ込みます。神様は悪夢に悩まされる羽目になるのです。
とんでもないババァなのですが、さらにとんでもないことに、自分の産婆人生の総締めくくりとして、後百人の子供を取りあげる決意をし、その子たちのために「国家転覆」やら「世界大戦」やらと自分が生きていたくないと思うような願いを用意しだす始末。幸いなことに、その一週間後にぽっくり逝ってしまいます。
しかし、それはあくまで物語の背景にすぎず、そんな部分をただニヤニヤと笑いながら読んでいると主人公に降りかかる壮絶な試練に唖然とし、これは主人公でなくても笑う意外何もしようがないような状況に突き落とされ、気が付けばとんでもない所に連れ去られてしまい、読んでいてきついものがありました。
とりあえず救いのあるラストなんだけれども、読むのに覚悟がいるなあ。
コメント