キンドレッド―きずなの招喚

キンドレッド―きずなの招喚
今年の二月に急逝したオクティヴィア・バトラーの現時点で唯一の翻訳長編。
ネビュラ賞など受賞しており本国での評価は高いわりにはほとんど翻訳がされていないのはタイミングが悪かっただけなんだろうか。
ネビュラ賞を受賞した「Parable of the Talents」あたりは翻訳される可能性が高い気もするけれども、受賞作だからといって必ずしも翻訳されるとは限らないし、ひょっとしたらこのまま埋もれてしまう作家なのかもしれないなあ。
主人公はようやく作品が売れはじめた駆け出し作家の黒人女性で、自分よりもちょっと売れ出した同じ作家の白人男性と結婚し、それなりに幸せな日々を送っている。しかしそんなある日、突然めまいの襲われ、気が付くと目の前には川でおぼれかかっている子供が一人。無我夢中ですくい上げ、人工呼吸をすることで何とか子供の命は助けることができたのだけれども、駆けつけてきた母親にいきなり殴り飛ばされる。
今まで家の中にいたのに、今は外。ここはいったい何処なのだ。
彼女が跳ばされた先は、奴隷解放前の1800年代アメリカ南部。黒人は許可証なしでは一人歩きさえ出来ない時代。そして彼女は黒人でありしかも女性なのだ。
自分の意志とは無関係に、一番危険な時代・場所に突然タイムスリップしてしまうという設定はかなり凄まじいものがある。主人公がタイムスリップするのは先祖の一人、ルーファスの命を救うためであり、ルーファスが命の危険にさらされたとき、血の絆ともいえる何かが時空間を越えて過去へと主人公を跳ばす。しかし皮肉なことにルーファスは白人。主人公はルーファスが黒人女性に産ませた子供の子孫だったのだ。
主人公が過去へ飛ばされるきっかけがルーファスの命の危険である反面、未来へ戻るきっかけは主人公の命の危険で、行くも地獄、戻るも地獄のとんでもない設定。しかしルーファスに身の危険があるたびに過去へと跳ばされ、ルーファスの命を助けなければならない、少なくともルーファスの子孫が生まれるまでは。
作者自身がこの作品をファンタジーであるといっているのでタイムスリップの仕組みにあれこれつっこむのは無粋というものだが、時空間に穴が空くことによってタイムスリップするという設定は物語にうまくとけ込んでおり、非常に良くできている。この設定のおかげで、主人公は身につけてさえいれば自分の身を守る物を過去へと持っていくことが出来るのだ。そして、主人公と接触をしていれば一緒に過去へとタイムスリップするということは主人公以外の人間も過去へと戻ることができるということであり、物語の途中、主人公の夫も過去へとタイムスリップしてしまう。夫は白人、もちろん黒人差別の意識などないのだけれども、それでも男女の性差は彼の中に無意識に存在している。主人公でさえ黒人差別の思想に取り込まれそうになるほどの時代へ跳ぶのだ。なおかつ最悪なことに夫が側にいない時に主人公が未来に戻ってしまい、夫は一人この時代に取り残されてしまう。そして主人公にとっては数日間に過ぎないのに、夫にとっては数年の年月が流れてしまう。果たして……。
背景となる奴隷制度の重みは、安易に奴隷解放という歴史改変の方向へと向かわせず、かといって奴隷制度における気が滅入るようなシリアスな展開もせず、エンターテインメントとしてのバランスが良くとれていて読みやすい。それ故にもう一歩踏み込んだ所まで描いて欲しかった気もするのだけれども、この物語から何を得て何をするかは、作者の問題ではなく読者の問題なのだ。

コメント

  1. 夕べと朝と夜と〜オクテイヴィア・E・バトラー?

     デュアリェイ=ゴード病(LDG)―世の中の癌の大部分と深刻なウイルス性疾患のいくつかを治す薬剤「ヘデオンコ」により引き起こされたもの―に罹患した者は,多少なりとも自分の身体を切り取り,そしてみな遊離する。
     主人公リンの両親もこのLDGの患者であり,酸鼻を極める最期を遂げました。
     父は母の肋骨を何本かへし折り,心臓をいためつけた。ほじくり出して。それから,父は自分をかきむしりはじめた。皮膚も骨も破って。ほじくり出した。そして息絶えるまでになんとか自分の心臓にだりついた。
     リンは,食餌療法により今は発病を抑えているものの,早晩発現することはまちがいありません。
     ある日,リンは,同じ境遇のアランとともに,アランの母親が暮らす,LDG患者専門の施設を訪ねることとなります。
     驚くべきことに,そこでは,LDG患者が,自傷行為を行わず,芸術活動にいそしむ姿さえ見られたのであります。
     施設長のビアトリスは,LDG患者をなだめ,和ませることのできる不思議な能力を有していました。
     リンは,ビアトリスに説明のつかない反発心を持つのですが…。
     ネタばらしをしてしまいますと,ともにLDG患者である両親から生まれた娘には,LDG患者を引き寄せる強力なフェロモンを発散させる形質が遺伝するということなんですな。
     特殊なコミュニティの中で,まるで「女王蜂」のような存在になることに対して,リンは苛立ち,嫌悪を覚えますが,一方で,自らの存在価値がこれほど明らかな役割がほかにありましょうや。
     「高度」な人の心の動きも,一皮むけば,生物(ここでは,昆虫かな)の本能に過ぎないという事実が,読者の目の前に厳然と示されているような感じがしますなあ。もちろん,恋愛というものにもね。
     結構過激なテーマを,静かなる筆致で,沈鬱さをたたえつつ,じっくりと語る,静かなる迫力をにじませる名品であると思います。
     作者は,早世してしまいましたのが残念です。
     それにしても,タイトルはどういう意図でしょう。
     これからリンが辿る道は,暗くて長い道のりなんだろうか。
     リンがビアトリスに自らの将来を見るラストは,実に印象的です。
     ○ 「血を分けた子供」
     

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