タンザニアのヴィクトリア湖は豊かなな生態系を持ち、ダーウィンが唱えた進化論の実体が実際にこの目で見られるかもしれない場所、ダーウィンの箱船と言われていた。しかし、環境に適合し生存競争に勝ち残ったのは学術研究で放たれたナイルパーチという魚だった。
しかもこのナイルパーチ、輸出品としての価値があり、その結果この魚を加工して輸出する一大産業ができあがる。それまでは自給自足で細々と生活をしていた人々に「雇用」という機会が与えられ、お金を稼ぐチャンスが生まれた。グローバル化万歳。
しかし「雇用」が生まれれば同時に「失業」も生まれる。何しろ豊かな生態系はナイルパーチ一が食い荒らしてしまい、自給自足が困難になったからだ。そして唯一豊富な食料であるナイルパーチは輸出品のため非常に高価になってしまい、自分たちは食べることが出来ない。「雇用」されなければ生きていけなくなってしまった。
女たちは売春をして金を稼ぐ。じゃあ男はといえば、戦争が起きることを祈っている。戦争が起きれば兵士として雇用されるからだ。
子供たちは何かを燃やしている。発砲スチロールだ。煙を吸って幸せの世界を夢みている。
ナイルバーチを積んで飛び立った飛行機は、武器を載せて戻ってくる。
「ダーウィンの悪夢」はそんなドキュメンタリ映画で、今ならYouTubeでDarwin’s Nightmareと検索すれば見ることが出来る。
西谷 修編
コメント
極めてシリアスな内容ですね。自然界の適者生存だけでなく,それを前提とした,人間界での適者生存。実に悲惨な状態ながら,この状態に落ち着いてしまうということは,グローバルな関連の中で冷徹な原理が働いてしまっているのかもしれない。でも,これが適者生存といえるのか,尤もな疑問だと思います。これにくれべりゃといわれそうですが,琵琶湖のブラックバス騒動も似ているところがあるような。釣りという商売の経済規模がばかにならなくなってきているのを無視できない。善悪は問わずに,現状を前提に,新たな体系が構築されてしまう。とりわけ,利権が働く途上国では,ことは深刻になるのでしょう。
ブラックバスの問題も共食いが始まっているらしいので深刻なようですね。影響範囲が大きいか小さいかの差だけでタンザニアで起こったことと本質的には変わらないと思います。
厭世的なSF小説も沢山読んできた身としてはこうした状況を受け入れてしまう自分がいます。と同時に全く正反対の気持ちの自分も同じ体の中に存在しているわけです。