いしい しんじ〔著〕
前作の「麦踏みクーツェ」にあったレイ・ブラッドベリ分が減って、宮沢賢治分が増大した感じ。
主人公の双子の名前がテンペルとタットル。いかにも宮沢賢治らしい名前の付け方なんだけど、まあこれはテンペルタットル彗星からつけられた名前。名前といえば主人公に名前らしい名前が付いているのもそれまでのいしいしんじの作品にはなかった点だ。そして主人公以外にもテオという手品師も登場する。
しかしそれ以外の人物にはやはり名前が無く、主人公達の育ての親は「泣き男」、その他「うみがめ」「兄貴」「妹」「栓ぬき」。ああこういう名前が登場するとなんだか安心するんだね、不思議と。
そして肝心のお話の方はといえば、自己犠牲である。まあ自己犠牲の話が駄目というわけではなく、物語そのものも悪くはないんだけどもなんだかちょっと物足りない。いやもどかしい。主人公が双子で二人なせいなのか、それなりに長い話ではあるのだけれども、どのエピソードも中途半端な気がしてくる。気にしなければ済むレベルではあるのだけれども……。
「だまされる才覚が人にないと、この世はかさっかさの世界になってしまう。」
もちろんここで言う「だまし」は人のためとなる方の「だまし」の事なんだけれども、それはわかっていながらも、だまされる才覚という言葉に抵抗をしてしまう。
ここでいう、だまされる才覚とはいったい何なんだろう。
老婆は手紙を書くことで自分を騙していたのだろうか、それとも双子達を騙していたのか。自分を騙していたのであったのならば、彼女はだまされる才覚があったのだろうか。あったとしたらそれはそれでとても悲しいことだ。
熊がタットルであることを知りながら騙されたふりをしていた村人達はだまされる才覚があったのだろうか、それともなかったのか。だまされる才覚があったのだとしたら、それはテンペルとタットルの不幸に結びついてしまう。
主人公の双子の名前がテンペルとタットル。いかにも宮沢賢治らしい名前の付け方なんだけど、まあこれはテンペルタットル彗星からつけられた名前。名前といえば主人公に名前らしい名前が付いているのもそれまでのいしいしんじの作品にはなかった点だ。そして主人公以外にもテオという手品師も登場する。
しかしそれ以外の人物にはやはり名前が無く、主人公達の育ての親は「泣き男」、その他「うみがめ」「兄貴」「妹」「栓ぬき」。ああこういう名前が登場するとなんだか安心するんだね、不思議と。
そして肝心のお話の方はといえば、自己犠牲である。まあ自己犠牲の話が駄目というわけではなく、物語そのものも悪くはないんだけどもなんだかちょっと物足りない。いやもどかしい。主人公が双子で二人なせいなのか、それなりに長い話ではあるのだけれども、どのエピソードも中途半端な気がしてくる。気にしなければ済むレベルではあるのだけれども……。
「だまされる才覚が人にないと、この世はかさっかさの世界になってしまう。」
もちろんここで言う「だまし」は人のためとなる方の「だまし」の事なんだけれども、それはわかっていながらも、だまされる才覚という言葉に抵抗をしてしまう。
ここでいう、だまされる才覚とはいったい何なんだろう。
老婆は手紙を書くことで自分を騙していたのだろうか、それとも双子達を騙していたのか。自分を騙していたのであったのならば、彼女はだまされる才覚があったのだろうか。あったとしたらそれはそれでとても悲しいことだ。
熊がタットルであることを知りながら騙されたふりをしていた村人達はだまされる才覚があったのだろうか、それともなかったのか。だまされる才覚があったのだとしたら、それはテンペルとタットルの不幸に結びついてしまう。
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