ジェラルド・カーシュ〔著〕 / 西崎 憲訳 / 駒月 雅子訳 / 吉村 満美子訳 / 若島 正訳
ジャック・ヴァンスの「フィルスクの陶匠」を読んだときに、ウランを釉薬として使う話が出て驚いたものですが、「壜の中の手記」の冒頭でさりげなく同じ事が触れられていて、カーシュっていったい何者なんだとびっくりしました。
それともウランを釉薬に使うって一般的な知識なの?
てなわけで、文庫化されたジェラルド・カーシュの『壜の中の手記』を読んでみました。
でまあ、読み終えてみると、オチの付け方があまり好みではないのに気付かされます。どうも私の場合、オチよりも途中の展開の方が楽しいし面白いのです。そんなわけですからなまじ変なオチをつけようとしない話の方が楽しめました。そういえば『幻想と怪奇』に収められた「海への悲しい道」も好きな話です。
どの作品も組み合わせの妙とでもいいますか、よくもまあそんな物を組み合わせてこんな話にしたものだと感心しますが、強烈なのは「ブライトンの怪物」。十八世紀イギリスの漁村で捕まえられた怪物とレスラーと原爆の話ですよ。しかしせっかくそこまで仕上げておいてそんな教訓話に落とすのかよと言いたくもなるのですが、ついついカーシュの主張が表に出てしまったのか……。
とはいえど発表されたのが1948年ですから、あらためてカーシュの凄さが実感できます。原爆とタイムスリップの組み合わせの先駆けはハミルトンの「時果つるところ」だと思っていたのですが、カーシュの方が先でした。
ある意味酷い話なんですが、しかし、こういう話は昔はよくあったなあ。
猪野省三の「化石原人の告白」なんかも似たようなネタで、しかももっと酷い。
主人公はUFOとかUMAとかが好きな小学生。近くの山で、ぼさぼさの髪、醜い顔をした人のような生き物を見たという噂話を聞き、それは現代に生き延びた原人の末裔かも知れないと考る。そしてその原人を化石原人と名前をつけ、仲間を集めて調査に乗り出す。「化石原人の告白」はそんな自分たちの住む町を舞台とした冒険小説。
またこの手の話には必須アイテムである町内地図も表紙裏にしっかりと完備。そして様々な謎や怪しげな人物などを交えて展開する物語の末に主人公の前にあらわれた原人の正体はなんだったのか……というと、その正体は同級生の父親であり、醜い顔に見えたのはケロイド跡、そしてそれは原爆による被害の跡だったのだ。父親は自分の子供が原爆の差別を受けないようにと、隠れるように住んでいたのだが、その行動が怪しく見られ、謎の原人と見間違えられたのだった。
そう、この小説は胸躍る冒険小説が最後の最後に一気急転、原爆という重苦しい問題を抱えた物語に転換してしまうのです。この衝撃は大きかった。もっとも猪野省三のすばらしさは、そんな重苦しい題材を扱いながらも非常に爽やかな後味を残して物語を終わらせていること。
その他、映画では「フランケンシュタイン対地底怪獣」なんてものもありました。「ゴジラ」だって直接は描かれないけれど原爆のメタファーであって、日本が三度、原爆の被害に遭うという酷い話でもあるよね。昔は酷い話がごろごろと転がっていたわけだ。
しかしこういう話は戦争という影をまだ引きずっていた時代だからこそ書けたのであって、戦争という影が薄れてしまった今ではこういう話は書かれることはないだろうと思います。もしくは書いてはいけないと勝手にタブー視されてしまっているだけなのかも。
そして戦争という影のなくなった今は、戦前なんだと思うよ、私は。
それともウランを釉薬に使うって一般的な知識なの?
てなわけで、文庫化されたジェラルド・カーシュの『壜の中の手記』を読んでみました。
でまあ、読み終えてみると、オチの付け方があまり好みではないのに気付かされます。どうも私の場合、オチよりも途中の展開の方が楽しいし面白いのです。そんなわけですからなまじ変なオチをつけようとしない話の方が楽しめました。そういえば『幻想と怪奇』に収められた「海への悲しい道」も好きな話です。
どの作品も組み合わせの妙とでもいいますか、よくもまあそんな物を組み合わせてこんな話にしたものだと感心しますが、強烈なのは「ブライトンの怪物」。十八世紀イギリスの漁村で捕まえられた怪物とレスラーと原爆の話ですよ。しかしせっかくそこまで仕上げておいてそんな教訓話に落とすのかよと言いたくもなるのですが、ついついカーシュの主張が表に出てしまったのか……。
とはいえど発表されたのが1948年ですから、あらためてカーシュの凄さが実感できます。原爆とタイムスリップの組み合わせの先駆けはハミルトンの「時果つるところ」だと思っていたのですが、カーシュの方が先でした。
ある意味酷い話なんですが、しかし、こういう話は昔はよくあったなあ。
猪野省三の「化石原人の告白」なんかも似たようなネタで、しかももっと酷い。
主人公はUFOとかUMAとかが好きな小学生。近くの山で、ぼさぼさの髪、醜い顔をした人のような生き物を見たという噂話を聞き、それは現代に生き延びた原人の末裔かも知れないと考る。そしてその原人を化石原人と名前をつけ、仲間を集めて調査に乗り出す。「化石原人の告白」はそんな自分たちの住む町を舞台とした冒険小説。
またこの手の話には必須アイテムである町内地図も表紙裏にしっかりと完備。そして様々な謎や怪しげな人物などを交えて展開する物語の末に主人公の前にあらわれた原人の正体はなんだったのか……というと、その正体は同級生の父親であり、醜い顔に見えたのはケロイド跡、そしてそれは原爆による被害の跡だったのだ。父親は自分の子供が原爆の差別を受けないようにと、隠れるように住んでいたのだが、その行動が怪しく見られ、謎の原人と見間違えられたのだった。
そう、この小説は胸躍る冒険小説が最後の最後に一気急転、原爆という重苦しい問題を抱えた物語に転換してしまうのです。この衝撃は大きかった。もっとも猪野省三のすばらしさは、そんな重苦しい題材を扱いながらも非常に爽やかな後味を残して物語を終わらせていること。
その他、映画では「フランケンシュタイン対地底怪獣」なんてものもありました。「ゴジラ」だって直接は描かれないけれど原爆のメタファーであって、日本が三度、原爆の被害に遭うという酷い話でもあるよね。昔は酷い話がごろごろと転がっていたわけだ。
しかしこういう話は戦争という影をまだ引きずっていた時代だからこそ書けたのであって、戦争という影が薄れてしまった今ではこういう話は書かれることはないだろうと思います。もしくは書いてはいけないと勝手にタブー視されてしまっているだけなのかも。
そして戦争という影のなくなった今は、戦前なんだと思うよ、私は。
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