富沢 ひとし
子供の頃に読んだSFというのは怖い話が多かった気がする。
まあそれは私が怖がりだったというせいも多分にあるのだけれども、それを差し引いてもやはり子供にとってのSFというのは、受け止められることのできる許容量を考えてみれば、怖い話だったというよりも理解できないことに対する畏怖に近いものだったのだろう。
だからこそであろう、自分の理解を拒絶するような世界を見せてくれる話をたまらなく渇望するときがある。
というわけで、相変わらず生理的な嫌悪感をもよおす絵を見せつけてくれます。もちろん絵だけではなく異形の者達の行動様式からして嫌悪感ばっちり。
ただ残念なことに、三巻になってある程度まとめに入り始めたのか、さまざまな時間が混在する世界となってしまった理由の一部がいきなり説明されたり、せっかくの異形の存在であった巨人達の姿が「河童」に似ているなどと、謎解きが行われはじめたのが非常にさびしい。
謎だらけの世界の解明が必要なのはわかっているのだけれども、嫌悪感もよおすこの世界が徐々に理屈で説明され解体されていってしまうと、どんどん色あせてつまらなくなってしまうのだ。
なんともわがままな存在である。読者というものは。
まあそれは私が怖がりだったというせいも多分にあるのだけれども、それを差し引いてもやはり子供にとってのSFというのは、受け止められることのできる許容量を考えてみれば、怖い話だったというよりも理解できないことに対する畏怖に近いものだったのだろう。
だからこそであろう、自分の理解を拒絶するような世界を見せてくれる話をたまらなく渇望するときがある。
というわけで、相変わらず生理的な嫌悪感をもよおす絵を見せつけてくれます。もちろん絵だけではなく異形の者達の行動様式からして嫌悪感ばっちり。
ただ残念なことに、三巻になってある程度まとめに入り始めたのか、さまざまな時間が混在する世界となってしまった理由の一部がいきなり説明されたり、せっかくの異形の存在であった巨人達の姿が「河童」に似ているなどと、謎解きが行われはじめたのが非常にさびしい。
謎だらけの世界の解明が必要なのはわかっているのだけれども、嫌悪感もよおすこの世界が徐々に理屈で説明され解体されていってしまうと、どんどん色あせてつまらなくなってしまうのだ。
なんともわがままな存在である。読者というものは。
コメント