星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

  •  最相 葉月/
  • 販売元/出版社 新潮社
  • 発売日 2007-03

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実に恐ろしい本だった。
ここまで一人の人間を丸裸にしてしまったということは凄まじい。
星新一と聞いて一番先に思い浮かぶエピソードが、「ベートーベン第10交響曲」の演奏会の話だ。
「第10交響曲」といいながらも実際のところは若い頃の習作で、それを聴いた星新一は「習作ってものは、生きているうちに始末しておかんといかんな」と語ったそうだ。
それが驚いたことに、静岡の別荘で膨大な下書きやメモが残されていたというではないか。
下書きといえども自作には絶大な自身をもっていたのか、それともまだまだ死ぬつもりはなかったのか。
私は後者の方に思えてしまうのでこの本が恐ろしかったのである。もちろんこのエピソードはこの本には書かれていない。
後半は日本SF史としても読むことができてしまうところも凄い。
参考文献としてあげられている本の大部分は読んだことがあるのだけれども、本作のように日本SFの歴史を星新一という作家を中心にして俯瞰する形で再構成されると、バラバラでは見えてこなかった部分がいろいろと見えてくる。単純に星新一の評伝というだけであるならば語る必要のないSF史の脇道の部分にまで言及されているのだ。
だからこそ、矢野徹に取材ができなかったことは非常に惜しい。矢野徹がもう少しだけ長生きしてくれていたら、もっと素晴らしいものになっていただろう。
で、矢野徹といえば、氏が渡米したころ、ブラッドベリの『火星年代記』の映画化の話があったという記述には驚いた。実際には映画化はされず1979年にTVムービーとして映像化されるまで待たなければならなかったのだけれども、1953年に映画化の話があったとは……。
と思ったところでちょっと引っかかった。1953年といえば「霧笛」が『原子怪獣現わる』として映画化された年である。『原子怪獣現わる』の間違いのような気もしないでもない。
まあそんな些細なことはともかく、実際には意外なところで星新一とつながりがあったのかも知れないけれども、単純に読む限りでは星新一と同じく千編以上の短編を書いたというつながりだけでインタビューしたとしか見えない佐野洋まで登場しているところが凄い。どこまで幅広く取材したのだろう、この人は。
しかし、『あのころの未来』を読んだときにも感じたのだけれども、どうもこの筆者とはそりが合わない。何故なのかと思っていたらこの本の中でこんな文章が出てきた。
「インターネットを神と結びつけて論じようとする私たち」
どおりでこの人の言動がすんなりと頭の中に入ってこないわけだ、私はそんなこと考えもしない。筆者の考える「私たち」の中には私は入っていないのである。

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