通り魔

通り魔

  •  フレドリック・ブラウン/
  • 販売元/出版社 東京創元社
  • 発売日 1963-03

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フレドリック・ブラウンといえば、SF作家としてのイメージが定着してしまっているのではないだろうか。
ブラウンの中で好きな話を一つだけ挙げるにといえばたいていの人はおそらく『発狂した宇宙』か『火星人ゴーホーム』かそれともSF短編のどれかを挙げるに違いない。『天の光はすべて星』を挙げる少々ひねくれた人もいるかも知れないがこれもSF小説だ。
『まっ白な嘘』や『復讐の女神』だって数々のSF短編の延長線上で読んでいてミステリとしては読んでいないのではないだろうか。
しかし、ブラウンは長編に関していえばSFよりもミステリのほうを沢山書いているのである。
まあ、沢山書いているから凄いというわけではないし、ブラウンの本領発揮といえば長編よりも短編だし、持ち味である奇抜な発想もミステリよりはSFとしての方が自由度が高くなるわけで、SF系の作品と比べてしまうとミステリ系の長編はワンランク落ちてしまうのも事実だ。
しかし、10代の頃にブラウンのSF短編を読んで熱狂的にSFにはまり込んだ時代を経て、やがて年を取り中年に差し掛かった今現在、ブラウンのSF短編を再読して再び熱狂的になるには少し照れくささや、ひねくれた考えが出てくる程度に年を取りすぎた身にとっては、ブラウンのミステリは心地よく感じられるのである。とくに<エド・ハンター>シリーズなんて主人公エドの成長物語となっていて、最高なのだ。シリーズ第一作なんてMWA最優秀処女長編賞を取っているのだよ。
それと同時に、コーネル・ウールリッチが当時の都会の雰囲気を余すところ無く伝えていたのと同様、ブラウンの長編ミステリも当時の風俗を旨く伝えているのである。
というわけで前置きが長くなってしまったのだが、この本はブラウンのおそらく唯一の映画化された作品である。しかも監督はダリオ・アルジェントだ。
もっとも、まだデビュー前のダリオ・アルジェント、新人にとっては版権料が高すぎて手が出なかったので、アイデアだけ借用して別な話にしてしまえばOKだよねってことで、勝手に話の方をでっち上げて撮ってしまったやつなので、正式な映画化というわけじゃないんだけどさ。
じゃあ映画化されたとは言えないんじゃないのかというと、1958年にガード・オズワルド監督がちゃんと版権取って映画化していたりもする。
内容はといえばまあ、正直なところ語るべくもない。意外な真相はあるけれども、今となってはあちらこちらで使いまわされてしまって古びてしまっているせいもある。
しかし、主人公が通り魔事件の被害者に惚れてしまい、その女性と一夜を共にしようと事件解決にのりだし、そして最後に彼女と一夜を共にすることが出来たというこの物語は、この内容に嘘偽り無く、ハッピーエンドで幕を閉じる話なのだなあなどと思いながら実際に読み終わってみると、この簡単なあらすじから想像するものとは全然違う物語になっていることに気付かされ、やっぱりブラウンなのだと思わされるのである。ああ、このひねくれ具合がブラウンらしいのだ。
残念なのはこの本も含めてブラウンの長編ミステリは全て絶版であることだ。
『3,1,2とノックせよ』とか『手斧が首を切りにきた』とか『死にいたる火星人の扉』など、題名からして魅了的なのにもったいないなあ、などと思っているのは私だけかもしれないが。

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