うーむ、2007年11月16日に沼沢洽治氏が亡くなられていたとは……。しかし驚いたのはペンネームだと思っていた沼沢洽治が本名だったこと、正確には沼澤なのだけれども、子供の頃は絶対にペンネームだと思っていたんだよね。
とびっくりしていたら平井イサク氏も11月30日に亡くなられていたとは。
で、それとは関係ないけれども前回がバットマンだったので、こちらにも触れなければなるまい。
- 著 ワイリー/
- 販売元/出版社 早川書房
- 発売日 2000
基本的に悩まないヒーローであるスーパーマンよりも、性格的にちょっと問題のあるヒーローとして描かれるようになったバットマンや、元祖悩めるヒーローのスパイダーマンの方がもてはやされているのだが、スーパーマンの元ネタとも言われる、もっともその真偽の程は怪しいのだけれども、フィリップ・ワイリーの『闘士』は悩みまくる超人だった。しかし、今現在の状況はさておき、スーパーマンはヒットしたのだから『闘士』の主人公から悩みを取り外して悩まないヒーローとしてスーパーマンを作ったのは正解だったといえよう。
でも現代は、いや昔だってそうだったのだが、悩み多き時代である。古びてしまっているかのように見える『闘士』も読み直してみると全然古びていないことに驚く。
もっとも、いくら古びていないといっても、作中で主人公が自分の力を生かすために外人部隊として戦争に参加するその戦争というのが第二次世界大戦ではなく第一次世界大戦であることに気付いたときにはちょっと驚いた。そりゃそうだ、この作品は1930年に発表された作品でまだ第二次世界大戦は起こっていない。
作者は主人公にひたすら試練を与え続けるので、最初のうちは順調であるのだが、次第に物事がうまく行かなくなる。とにかくやることなすこと全てがうまくいかないのだ。超人的な肉体と超人的な知能と引き替えに、運の良さというものを全て失ってしまったかのようである。
ラストが唐突すぎるといえば確かにそうなのだが、自分は何者であり、何をなすべきかというアイデンティティを求め続けた一人の男の物語であることを考えれば、アイデンティティを得ることが出来た瞬間にこの物語はその役目を終えるのであって、物語そのものが誰でも納得の行くハッピーエンドで終わらなければいけない必要など無いのである。
ナイト・シャマラン監督の『アンブレイカブル』も同様であって、自分が何物であるのかがわかった瞬間に物語の幕は閉じる。もっともこの場合、善悪両方のアイデンティティが確立されるという点が素晴らしいのだが、『闘士』を読んでみて『アンブレイカブル』があまりにも似ていることに驚いたよ。
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