- 著 ビョルン・ロンボルグ
- 販売元/出版社 ソフトバンククリエイティブ
- 発売日 2008-06-28
『環境危機をあおってはいけない』が出たときは興味がありつつもそれに割くリソースが自分の中になかったので読まなかったのだが、今回は読むことにしたのはそれに割くリソースが出来たというよりも、環境問題に対する報道に辟易していたからだ。
なんだかやたらと過剰反応しているような気がする。いやそのくらいしないとどうしようもない状況にまでなっているのかもしれないのだが、そうだとしたらもはや手遅れで何をしても無駄なのではないだろうか。
というわけで、読んでみて驚いた。
ホッキョクグマが絶滅しそうだなどといっているけれども、数値的に見れば温暖化の影響で死んだ数の三倍以上の数のホッキョククマは射殺されているのである。絶滅しそうだから可哀想などといっている暇があったら射殺する数を減らした方が手っ取り早いのだ。
さらには、熱波で死ぬ人が増えるといっているけれども、温暖化になれば寒波で死ぬ人は減る。いや真剣に温暖化問題を考えていなかったのでこれは盲点だった。で、寒波でどのくらいの人が死んでいるのかと言えば、熱波で死ぬ人の五倍くらいなのだ。温暖化になったほうがよいのではないかとも思える数の差だ。
どうも、悪い部分だけ注目を浴びて、良い部分は注目されていないというか、都合の悪い部分は表沙汰になっていないようなのだ。無論、そこまで考慮するとなると検討しなければいけない要素は増大して、その結果とてもじゃないけど計算不能に近くなってしまう。だから環境に対して問題のある要素だけ見て対応しようという考え方も理解出来ないことはない。
でもそれで解決するのだろうか。CO2を削減しなければいけないというのは理解出来る。しかし、削減したら温暖化を阻止できるのだろうかというと、どの程度効果があるのかってのは知らされていない。
実際問題、CO2を減らせば温暖化は阻止出来るって思っている人はかなり多いんじゃないのかな。自分だってそうだったし。
で、どのくらい効果があるのかっていうと、今の削減レベルではほとんど効果がないのだ。タヌキの泥船から兎の木の船に乗り移ることができるだろうと思ってがんばったところで、乗り移ることなんてできないくって、ただ単に、泥船が沈む時間を遅らせるだけなのである。京都議定書のレベルでは。
というわけで、温暖化が巻き起こすあまりうれしくない未来よりも、たいして効果のないことに無意味な労力を費やそうとしている人間の愚かさの方に絶望的になってしまった。
じゃあどうすればいいのかっていえば、この本を読んでも答えは簡単に出ないわけなのだが、温暖化がそれほど暗黒の未来ではないことを考えると、闇雲に危機感を煽るよりも、もっと真剣に考えなければならないのだと思う。
コメント
はじめまして。
ロンボルク本、早速読まれましたですか。ゴア氏の「不都合な真実」や石油枯渇本など危機を煽る本ばかりが本屋で幅きかす中で、注目/注文していた1冊です。読んだら感想あげようと思っています。
ノストラダムス本のように危機を声高に主張する本が後を絶たないのは、僕たちが将来の不確実性に対して抱く「漠然とした不安」を形に表してくれるからでしょうね。周辺国にやたらと敵愾心を燃やす変なナショナリズムと似たような構造を持っているのでは、と思われます。
こういった「明らかに誤った議論」がエンターテインメントに持ち込まれると途端に個人的には楽しめなくなってしまうのが、最近悩みのタネです。例えば伊藤計劃氏の「虐殺器官」。途上国に虐殺を「輸出」することでそれを免れる先進国という設定。これなんか50-60年代に流行った「旧植民地諸国の停滞は、旧宗主国への政治的・経済的従属のせい」とする従属理論の焼き直しに過ぎないと思います。まぁ、こういった「余計な」突っ込みは自分で封印しておいて、「心象としての」終末観の見せ方の上手さだとか、ハイテク軍事小説としての描写だとかに感心するのが、「大人の読み方」だとは思うのですが。しかし小説の主題の根幹に関わっているしなぁ…。
射手座の男さん、はじめまして。
ロンボルクは統計学者なので、データをどのように解釈するべきかという実践編といった感じで、この本は興味深い本でした。
で、まあ環境問題に関してはどうなんだってことになるとにわか仕込みではとうてい太刀打ちできないってのが現状で、真剣に考えようとすると途方に暮れてしまいますね。
危機感を煽るのは、行動を起こさせるための手っ取り早く簡単な方法でもあるのですが、それって思考停止でもあるので、今のエコって、なんだか手段のためには目的を選ばないってな感じになっているような気もします。
>こういった「明らかに誤った議論」がエンターテインメントに持ち込まれると途端に個人的には楽しめなくなってしまうのが、最近悩みのタネです。
相手の方が間違っていなくっても、自分の考えと大きく異なる考えが持ち込まれていたりすると、それに引っかかって楽しめなくなったりします。
そういうときは、読む時期を間違えたと思うことにしています。