今にして思えば、結婚する前から妻はその兆候があった、もしくはなりやすい性格だったと思う。
断りべたで、優柔不断、たくさんの音がするところが苦手、落ち着きがない。
しかし、自分で稼いだお金で一人暮らしもし、日常生活は充分普通にできる。そんな彼女が病気であると思うことは、そう思う自分のほうが病気だと考えたほうがいいくらい変な考えだった。
私と結婚し、そして私以外誰一人知り合いのいない場所、私の実家へと引越しをし、二世帯住宅とはいえ本人が嫌がっていた同居をし、そして七年の月日が過ぎた。
徐々に嫁姑関係が崩れ始め、お互いの生活サイクルがずれ始め、妻の睡眠不足も続く。
「もうこれ以上ここにいたら私の頭がおかしくなる」
と言った妻に、ようやく家のローンが終わり、持ち家が完全に自分のものとなった私は苦渋の決断をした。妻と一緒に家を出て、アパート暮らしをすることにしたのである。
引越し後しばらくはお互い引越し疲れが続き、よく食べよく寝た。
夫婦二人暮らしという、七年ごしの新婚生活を妻も楽しんでいるようだった。
そんな環境の激変も乗り越えた彼女だったから大丈夫だと思い込んでしまっていた。
しかし、それから一月後あたりから、妻がおかしなことを言うようになった。
「アパートの下の人の声が聞こえる」
そりゃ、RC構造のマンションじゃないし、夏場だから窓も開けっ放しだ。外の音など聞こえて当たり前だ。
もともと被害妄想気味で、人の言動を気にする妻は、他の住人の自分の言動に敏感になっていたらしい。
何気ない普通の内容も、自分への非難の言葉と受け取ってしまっているようだった。
そんな妻の被害妄想はそれまでにもあったことなので、やっぱり出たかと思いつつ、そんなことはないよと否定し続けた。
やがて妻は盗聴器が仕掛けられているといい始める。
階下の人たちが、自分の話した言葉を繰り返して言うというのだ。
妄想である。
そう思った。
だからすぐさま否定した。
妻は妻なりに、原因を確かめようとしたらしく、口パクでしゃべって確かめてみたりし、そして妄想を増長させていった。
「口パクでしゃべって、声を出しても入ないのに、私が言ったことを繰り返してくるの」
自分の考えが頭の中でそのまま跳ね返っているのだから何も不思議ではない。
音を出していないのに話した言葉が知られている、ということから妻の論理は飛躍する。
「隠しカメラがどこかにしかけられているかも」
その時点で私は、論理的に説明すれば、妻も理解してもらえるだろうと、ひたすら妻の言葉を論理的に否定し続けたのである。
私は、妄想の前に論理が、いかに無力であるのかをひたすら実感し続け、己の無力感にさいなまされた。
妻は私への信頼を少しずつ失っていった。そしてその代わりに妻の頭の中は異様で、とてつもなく強固な論理で満たされていった。
すでに二週間近くが経過していた。
それが始まる前
BEFORE
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