今日は妻との外出の日だ。
しかし、病院へ向かう途中で雲行きは怪しくなり、ぽつり、ぽつりと雨が降り出してくる。
病院にて外出申請票を書き、妻と一緒に病院の外へ。
まず最初に妻の買い物に行くのだが、病室から出ることが出来た反動なのか、それとも今まで隠していただけで本音は違っていたのか、妻は車の中で私を非難し始める。
ひととおりまくし立てた後で、
「離婚届を用意しておいて」
いったい何が悪いのだろうか。むろん入院させたことで非難されてもある程度は仕方がない。それはわかっている。しかし、順調に快復へと向かっていそうだと安心しきっていた身にとって、妻の発言はきつすぎた。
「あなたのは愛情じゃなくって同情よ、かわいそうだと思ったから私をあんなところに放り込んだんでしょ」
今日の外出は無しだと叫んで病院に戻りたくなる。何とか我慢して気持ちを抑える。
しかし、妻の言うことにも一理ある。私は妻に同情していただけなのだろうか。
心の内を吐き出してしまうと妻も穏やかになってくるのだが、どうも被害妄想は抜け切れていないようだ。
隣に入院してきた患者さんはダミーの患者で本当は正常な人だ。などと言ってくる。
よくよく問いただすと、妻は相手の話をそのまま鵜呑みにしているようだった。
なんでそんな話を信じてしまうのか不思議なのだが、相手の患者さんがどういう病気で入院しているのか知らない。しかし、統合失調症で入院しているのであれば病識はない可能性が高い。そうなると本人は病気で入院しているなどとは信じるはずもない。だから病人では無いと言っても不思議ではない。
また、夕食で出た鶏肉を食べた後、喉のあたりがピリっときたと言う。鶏肉に何か仕込まれているのではないか、トリカブトの毒だったらそうなるんじゃないか、などとも言う。
基本的に精神科にたいする偏見が抜け切れていないのでそのような妄想を抱いてしまうのだろう。
薬に関しても、どういう作用の薬なのか書いて渡しておいても、他の患者さんの意見の方を信じてしまっている。
幻聴こそは聞こえなくなったようだが、このあまりにもひどすぎる妄想癖を何とかしない限り再発の可能性は高いのだろう。
買い物を済まし、アパートへと向かう。
妻は声がしないか少し不安そうだった。無論、私も不安だった。
が、薬が効果を発揮しているようで、声は聞こえないようだった。
しかし、外の物音には敏感に反応している。無理もない事だ。妻にしてみれば不安なのだ。
昼ご飯を食べた後、妻は実家に電話をかける。
私は洗濯しておいた自分のシャツにアイロンがけをする。
途中で妻が、私に電話に出て欲しいといてきたので受話器をとって義母と話をする。
嫌な予感はしていたが不安は的中した。
「一ヶ月経ったら退院させてください」
「……」
よく意味がわからなかった。
「薬を飲んでいると副作用が出るし、病院は患者を実験台にしています」
どこからそんな陰謀論を仕込んできているのか理解が出来ない。
「妻が処方されている薬は十年も前に発売された物なんですよ。そんなもので実験台に使うんですか?」
「○さんはわかっていないようだけど、私は知っているんです」
「今、妻には目立った副作用は出ていません。それに十年も前に発売された薬で何を実験に使うんです?」
「病院は薬を出して金儲けしているんですよ」
都合が悪くなったのか論点をすり替えてくる。
「統合失調症に関して勉強されたんですか?」
「しましたよ」
「していたとは思われません」
「こちらで病院を探します。研究します」
じゃあ、探すと言っておきながら病院探しを今までしていなかったのですか、と言おうと思ったところで妻に受話器を取られてしまう。
妻は、私の言うことを聞かない限り退院させてもらえないと義母に話している。
いったい何なんだこいつらは。
副作用とか、実験台とか、そんなことばかり言っていて、妻の病気を治す具体的な事は何も言ってこない。
副作用は確かに大事なことだけれども、そんなことばかり言っていても妻の病気は治らない。
病院は患者を実験台に使っているなんて言っている人間が、妻を通院させるとは考えにくい。
妻が電話をおいた後、無性に腹の立ったままの私は、妻に、
「お前の親には愛想がつきた。もうお前の面倒は見きれない。退院したらお前とは離婚するよ、好きにしやがれ」
と言ってしまう。
「私もそうしたいんだから、それで良いでしょ」
「その変わり、お前が再発してしまっても俺に泣きついてくるなよ。完全に縁を切るんだからな」
「わかったわよ」
「まったく、勉強するって言っておきながら全然勉強していないじゃないかお前の親は」
「しょうがないじゃないの忙しいんだから」
「お前の弟もいるじゃないか、どういう考えかたをしたら十年も前の薬を使って実験台にしているなんて考えが出来るんだか」
妻なりにも義母の考えに不審がる面があったのかもしれない。病気のせいで思考が長続きしないせいなのかもしれない。いや、一番の理由は外出時間が限られているせいだろう。
「言い合いなんかしたくない」と妻は言って、この話は打ち止めとなる。
退院させてくれれば通院もするし薬も飲むと言ってはいるのだが、これは本心からなのだろうか。
今飲んでいる薬は、飲むと喉のあたりがぴりぴりするし、飲んだ後、一時間くらいは何も出来なくなってしまう、と言っている。
退院して自宅で毎日そんな薬を飲み続けることが、今の妻には出来るのだろうか。
もっとも、妻は一生薬を飲み続けないといけないということも少しは理解しているようだったのでどうなるかはわからない。少しずつ薬の量は減らしていくことは出来るかもしれない。しかし、それは、かもしれないであってどうなるのかはわからないのだ。
妻は私が買った妻の病気に関係がありそうな本の山をみて、そんなにも買ってどうするのと聞いてくる。
病気に関して勉強するためだよと答えるが、妻は、私はそんなもの勉強しないと返してくる。
確かに、病気と向き合うのは辛い事だろう。しかし、せめてどんな症状で、どんなことが再発の引き金になるのかぐらいは知っておいて欲しいと思う。病気と闘わなくてはいけないのは私ではなく、妻なのだ。私は妻を支えてあげることしか出来ない。
妻が耳掻きをして欲しいと言ってくる。
妻は耳掻きが好きなのだ。
しかし、私はめんどくさがってあまりやってはあげない。そもそも妻の耳の中はきれいなで耳掻きのし甲斐が無いのだ。
でも今日は妻の耳掻きをしてあげる。いつもより念入りにしてあげる。なにも耳垢が無いけどしてあげる。
やがて病院へと戻らなければいけない時間となる。
妻はぎりぎりの時間まで粘る。無理もない。
「正常でいられるのは今日限りかもしれない」
「このまま二度と病院の外へは出られないかもしれない」
「病院に戻っていじめに遭う」
ネガティブ思考の炸裂だ。
どうしたら助けてあげることが出来るのだろう。
もっとも最後のいじめに関しては心配だった。看護師さんの、患者の家族に対しての接し方と患者に対しての接し方とで違ってくるのは仕方がない部分もある。患者の虐待という話だって耳にしたことはある。こればかりは妻の口から聞き出すしか方法がない。が、妻はまだ被害妄想が抜け切れていない。妻は、看護師さんは患者に対して上から目線で物を言うと言ってくる。それでは難しいよなあ。
やはり妻の被害妄想の可能性が高いのも事実だ。
病院からアパートに戻ってきて、そして、一人っきりの生活になれたはずなのに、寂しさを感じる。さっきまでいた人が今はいない。それだけで、いやだからこそ、とても寂しい。
妻は自分が寂しいことで手一杯だ。だから私の寂しさまでは理解してくれない。
私がどれだけ寂しいか理解してくれさえすれば、私が妻を入院などさせたくはなかったこともわかってもらえるし、入院させてせいせいしたなどと思ってはいないこともわかってもらえるはずなのだが、理解してはくれない。
妻の幻聴は消えたかのように見える。しかし時折聞こえると今日妻は言った。それが幻聴なのか現実の声なのかわからない。妻には区別がつかないのだ。
妻は、自分をこんな目にあわせた人間に復讐してやると言う。妻の復讐相手の中に私がいることは確かだ。ではそのほかに誰がいる?
妻の妄想は根強く残っている。
妻が感情的になったとき、それは現れる。
いったいどうすればいいのか、いくら考えても答えが出てこない。
経過報告43
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