いわゆる、「幻の傑作」
書かれたのが1948年と今から60年以上も昔ということを考慮しなければ、ニューロティック・サスペンスであるこの物語は、それほど衝撃的でもない。
二年間、精神病院に入院していた女性が退院する日から、この物語は始まる。
設定が設定なため、最後まで投げ出さずに読み切ることができるか少し不安だった。妻が発症してしばらくの間、小説の中でこういった病気が扱われていた場合、読むのが苦痛だったからだ。
しかし、一年以上が経過し、小説は小説であると、少しは客観的に捉えることができるようになったみたいだった。
話がそれてしまった、話を戻そう。
今となっては衝撃的ではないが、しかし、けっして患者に背中を向けない看護師、鍵のかかった病室、退院の日だというのに連想ゲームをさせる医師、物語冒頭から不協和音が鳴り響く。
主人公が何の病気で入院していたのかは終盤まで明らかにされない。
その時代、薬物療法は効果がほとんど無かった時代であり、では主人公はどんな治療を受けていたのか。
物語の展開とはよそに、わたしの興味はそっちに移ってしまっていた。もちろん、これは小説であり、治療に関する医学書ではないから、具体的な治療法が書かれる可能性はないだろうと思っていた。
が、しかし、驚いたことに最後になって主人公に行われた治療法が明らかにされる。主人公に施された治療は電気ショック療法だったのである。
そして、その時点で、この小説がきわめてシステマティックに組み立てられていることがよくわかった。
電気ショック療法は、患者に対して治療目的ではなく、刑罰目的として行われた歴史と脳に電気を流すという残酷なイメージによって一時期は否定された。事故も多かった上に、何故効果があるのかよくわかっていない治療方法でもあったのである。
しかし、過去の方法よりも安全な方式に改良が加えられ、現在でも行われている。
今でも否定する人が多い。
効果があるのかわからない治療方法が今でも行われていることに驚く人も多いだろう。しかし、医療とは患者を治療することが目的なのであり、効果があることがはっきりとしていれば、その効果の元となる理屈がわからなくても治療方法として使うものなのである。
しかし、脳に電気を流し、ショックを与えるというイメージは心理的に拒絶反応を起こしてしまうことも確かだ。
妻の場合、薬物療法が効果があったので電気ショックという選択肢を選ぶことはなかったのだが、仮に薬物療法が効果が無く、主治医が電気ショック療法を勧めてきたとしたら、わたしはどう決断しただろうか。
たぶん、わたしは電気ショック療法という決断はできなかったと思う。
今でもたぶん、できないだろう。
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