僕と妻の1778の物語

『僕と妻の1778の物語』を妻と一緒に見に行った。
『妻に捧げた1778話』は読んでいたので実際はどうであったのかは知っていたし、本来ならば好き好んでまで映画館に足を運んで見に行く系統の映画ではなかったのだが、映画の主人公がSF作家であるということと、映画化するにあたって眉村卓本人から美談にはしないで欲しいと言われて作ったということで、どんな話になっているのか興味があった。しかし、自分自身と重ね合わせたかったというのが一番の理由だ。
そういうわけで、この映画は妻と一緒に見に行きたかった。所詮はわたしのわがままだ。
よほどのことがない限り、邦画に関しては映画館に見に行くことのない妻も、草 剛の<僕シリーズ>が好きだったので、この映画には興味を持っていたということも幸いした。
妻がこの映画を見てどう思うかはわからない。妻を元気付ける映画では無いことは確かだ。しかし、涙を流すことはストレス解消にも繋がるという。
同じ涙を流すにしても自分のことで涙を流すよりも他の事で涙を流す方がいいのではないかとも思う。わたし自身にとってもだ。
映画は、終盤付近で演出過剰な部分もあったけれど、美談にならないように、そして単なる難病ものにもならないようになかなかがんばっていた。しかし、美談だと受け止めたい人はそう受け止めてもいいと思う。
わたしは、小説を書くことしかできない不器用な男が不器用ながらも一生懸命がんばった物語だと受け止めた。だから、思いっきり泣くことができた。真っ暗な映画館の中だから、声だけ押し殺す努力をすれば、気が済むだけ涙を流すことができる。
映画を見終われば、妻もわたしも現実と対面することとなる。
映画の中のセリフのように、
「でも悪くないよ、いまの僕らも」
とわたしが言ったとき、
「うん」
と妻が答えてくれるように、わたしも不器用ながらがんばってみよう。

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