『紀大偉作品集「膜」』紀大偉

買ってからだいぶ長いこと積読のままにしていた。もっとも、この本以上に積読のままのものもあるのだから、この本だけ例外というわけでもない。
買ってからすぐに読む本と、買ったことで安心してしまい積読になってしまう本、そして買ったけれどもすぐには読む気になれない本。わたしにはたぶん三種類の本がある。そして『膜』はすぐには読む気になれなかった本だ。
本との出会いというのはタイミングだと思う。偶然だったり必然だったり。
二年経ってようやく読むタイミングが訪れたのだ。なので読み始めるとすんなりと物語が頭の中に入ってくる。
クィアという概念は今一つよくわからないのだが、まあこの本だけでわかるものでもないだろうし、わからないままでもSFとして楽しむことはできる。
台湾の作家の書いた本は張系国の『星雲組曲』を読んだだけだったので、これが二冊目となる。あまり翻訳されていないことを思うと近くて遠い国だ。
張系国の『星雲組曲』は古き日本SFを読んでいるかのような部分があったが、『膜』は違った。さまざまなレベルでの「膜」という要素が織り込まれ、主人公を覆っている膜が徐々に取り除かれていく過程はスリリングであり、ある種の官能的な目眩すら覚える。「膜」はメタファーでもあるのだが、それ以上に、世界と個人の対比の描かれ方がうまい。オゾン層の減少によって海中に都市を築き、そこに住むことを余儀なくされてしまった人類と主人公が物語の最後で行き着く先がうまく結びついていて感動すら覚えるのだ。
性差のマイノリティだからなのだろうか、それ故の繊細さという部分はどこかトム・リーミィの作品の持つ雰囲気と同じ味わいがあり、大きな声でというよりも静かな声で、この物語は凄いと言いたくなる。
続いて、卜鉅一の『京城・昭和六十二年』を読み始める。今月はもうじき、莫言の『牛 築路』が出るので、『京城・昭和六十二年』を読み終えたら、莫言を読もうと思っている。亜細亜の作家をちょっとまとめて読んでみることとなる。亜細亜の作家の翻訳はそれほど多くはないので、こうして集中して読むのはちょっとした贅沢だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました