いつも拝見させていただいている三軒茶屋 別館さんの四月一日の記事を読んでいたら自分のブログのことが書かれていてびっくりしてしまった。
当たり前のことだが、不特定多数の人の目に留まる形で文章を綴っているということは、誰かにその文章を読んでもらいたいからにほかならない。
誰かに読んでもらいたい文章を書くその理由というのは人それぞれだろうけれども、じゃあ、書く内容に関してはどうなんだろうと思うことがある。おそらく大半の人は読んでもらいたいことを自分が書きたいように書いているのだろう。
でも、ぼくの場合はそれに加えてぼくの文章を読む人が、ぼくの文章に何を期待しているのかということを意識してしまう。そういう意味において、ぼくは自由に文章というものを書くことができない。どこかで、読む人が望んでいそうな内容を選択してしまいがちになってしまう。
自分が読んだ本について自分が書きたいように書いているのは事実だ、それはその事に関して書きたいという気持ちがあるからにほかならないけれども、自分のブログを見に来ている人がこの場所で本の感想が書かれていることを期待しているだろうから書いているという部分もある。
一時期ぼくは、このブログで妻の病気のことに関して書き連ねた。それはそうしなければ自分自身の心の折り合いを取ることができなかったからで、何の反応がなくっても誰かが自分の書いた文章を読んでくれているかも知れないと思うことで、自分を支え続けるために書き続けた。本の感想を期待している人には悪いなという気持ちを持ち続けながらもだ。
しかし、そんなことを続けていても後戻りの出来ない袋小路に向かっていくだけだ。見えない出口を求めて闇雲にあがいても出口にはたどり着けない。そのうち疲れきってしまい、あがくことすらできなくなってしまう。
だから、妻が退院した時点で書くことを止めた。
いつの日か、ぼくが本の感想を書くことを期待している人がいることも知っていた。と同時に、ぼくと妻の話を気にしている人がいることも知っていた。
こうして、ブログを再開したのは実をいうと止むに止まれぬ事情があったからで、再開したくて再開したわけではない。もちろん再開することができたならいつか再開させたいとは思っていたけれど。
まあ世の中にはどうしようも出来ないことというものがあるわけだが、無理矢理再開させられたなどと思ってはいない。逆に、再開することに躊躇していた自分を後押ししてくれたと、感謝まではしていないが、再開するにいたった事情そのものに関しては悪くは思っていない。
しかし、望むと望まぬと再開してしまった以上、ぼくのブログを読む人がぼくがどんな文章を書くことを期待しているのか、再び意識せざるを得ない。しかし、今のところ読んでくれる人を満足させられるようなものを書くことはなかなか難しい。
というわけで、オススメという言葉に期待して、期待はずれに感じてしまった人には申し訳ない。いまだにどう書けばいいのか悩み続けている。
アイヨシさんが「ちょっと表現するのが難しい」と書いているのは、そんなぼくの考え方のブレみたいなものが個々の記事に現れてしまっているからかもしれない。
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