死に至る病

人が、死にたいと言うのは、死にたくないという気持ちの裏返しなのかもしれない。何処かで生きていたいという気持ちが存在しているのだ。
統合失調症の陰性症状に苦しむ妻は、時として不安定になる。
自分に死ぬ勇気があれば今すぐにでも死にたいと僕に言う。
勇気がないから死ぬことができないだけだ。その時だけ僕は妻が永遠に意気地なしでいて欲しいと思う。
死にたいという言葉を聞くのは辛いが、僕は、「うん」としか答えることができない。
妻が望んでいるのは自分の気持ちを否定する言葉ではなく、肯定する言葉だからだ。
死なないで欲しいと言ってもまったく通じない。
風呂に入っていると、妻の笑い声が聞こえた。テレビを見ていて笑っているようだ。面白かったらしい。
いつまでも笑っていて欲しいと思う。今日も、明日も、ずっとずっと。
クオリティ・オブ・ライフという言葉がある。医学的には「その人がこれでいいと思えるような生活の質」という意味だ。
妻の病気は完治するのが困難だ。だから病気を完治させるのではなく、クオリティ・オブ・ライフを高めるという気持ちでいなければ絶望してしまう。
妻の親は、妻の病気のことを受け入れることができないでいる。無理もないことなのだが、そのことで妻も、妻の親も互いに理解し合えないことで苦しんでいる。
妻の病気は死には至らない病なのだが、妻も、家族も死に至る病にかかっている。
この世界の底には悲しみが横たわっている。悲しみを見ないようにするために、喜びで埋め尽くそうとするのだ。
そんな風に思える。
妻が死にたいと言うとき、そう言いながらも心の何処かで、まだ、死にたくはないと思っているんだろう。そう思う。
間違っているだろうか。

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