『隠し剣秋風抄』藤沢周平

去年、『必死剣鳥刺し』という映画が公開された。「必殺」ではなく「必死」そして「鳥刺し」という言葉の響きに興味を持ったがさすがに映画を見に行くほどまでは興味は持たなかった。しかし「必死剣鳥刺し」というものがどういう剣法なのか気にはなったままだった。
いろいろと調べてみると、この映画が藤沢周平の短編を原作にしているということを知った。そこで小説ならば読んでみようかと思い、読んでみることにしたのが去年の話だった。
それまで藤沢周平の小説は読んだことがなかったのだが、『隠し剣孤影抄』は予想以上に面白かった。そして『隠し剣孤影抄』には『隠し剣秋風抄』という続きがあった。
読むのがもったいなくってしばらく積読のままにしておいたのだけれども、あまりほっとくとそれっきりになってしまうので頃合いをみて読むことにした。
この<隠し剣>シリーズは主人公がなんらかの秘伝の隠し技を持っていて、止むに止まれぬ事情に巻き込まれてその隠し技を使うことになるという短編集だが、ほとんどの場合、主人公は死ぬか不幸になる。
『隠し剣孤影抄』ではその不幸の度合いが素晴らしく、その味わいがハードボイルド小説と同じで、あやうく時代小説にはまり込みそうになってしまったぐらいだが、今回はわりと不幸の度合いがマイルドになり、前作の雰囲気も良かったけれども、今回の雰囲気もこれはこれで良いじゃないかと思った。
というのも最後の話が「盲目剣谺返し」で、山田洋次監督によって『武士の一分』という題名で映画化された作品だったからだ。映画をみた人ならば知っているだろうけれど、最後はハッピーエンドなのだ。「盲目剣谺返し」と『武士の一分』を比べると、上手い監督が短編を映画化する場合、傑作になるんだなあということがよくわかる。小説の中でも「武士の一分」というセリフが登場するけれども、あくまで主人公だけだ。それが映画では悪役にも「武士の一分」があるということまでを描いていてより深みが増している。短編小説を映画化した成功例の一つだ。
その他、「暗黒剣千鳥」では暗黒剣の使い手は誰なのかというミステリ仕立ての話だったり、逆恨みで果たし合いを挑まれた主人公が友人達に手助けを願い出るが誰も助けては貰えず、一人で果たし合いをしなければいけなくなるのだが最後の最後で意外な人物が手助けにやって来る「孤立剣残月」も面白い。
偏屈で天の邪鬼な男が派閥争うに巻き込まれる「偏屈剣蟇ノ下」は、僕自身が天の邪鬼な傾向にあるのでちょっと他人事とは思えなかったりして、最後の主人公のセリフにホロりとさせられた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました