主人公は三兄弟の長男。母親を亡くし、父と二人の弟と暮らしている。母を亡くした傷は癒えていないが、徐々に日常の生活を取り戻しつつあるのだが、そんなある日、父親は「料理はできませんが噛みつきません」という風変わりな家政婦を雇う決意をする。そして、列車に乗ってやって来た家政婦には、家政婦以上に風変わりな兄も付いてきた。物語はそれから五十年ほど経過した主人公の現在の視点から回想される。
ビルドゥングスロマンとまではいかないが、一人の少年がある出来事をきっかけに少しだけ大人になっていくというタイプの物語がある。
少年時代ものとでも言えばいいのだろうか、ロバート・マキャモンの小説にそのものずばりの『少年時代』という小説があるし、スティーブン・キングの「スタンド・バイ・ミー」や、ジョー・R・ランズデールの『ボトムズ』なんかもそうだ。いちいち挙げていくときりがないのでこれくらいにしておくが、舞台は南部や西部の田舎町になることが多い。というかこの手の物語には都会はあまり似合わない。舞台となる町も重要だ。
先に挙げた物語はどれも「死」がメインに登場する。主人公達は死というものを受け止めることによって少し大人になっていく。
それと比べると、アイヴァン・ドイグの『口笛の聞こえる季節』では殺人事件は起こらないし、超常現象といったファンタジー要素も全くない。死というものは登場するが、あくまでそれは主人公達の日常生活の中において起こり得るごく当たり前の要素の一つでしかない。
しかし、殺人事件とかファンタジー的な要素とか、そういったものが存在しなくても、少年時代ものとしか言いようのない物語たちが描く少年時代の日々は、ある種の魔法的な輝きがあって、振り返ると懐かしさにあふれているのだ。そしてアイヴァン・ドイグが描いた物語はこの事を実感させてくれる。
それにしても『口笛が聞こえる季節』という題名がすばらしい。主人公一家の元へやって来た家政婦は家事をしながら口笛を吹く。そんな家政婦に恋してしまった主人公の父親は、亡き妻の墓の前で子供たちに、彼女にプロポーズをするつもりだと告白する。父親の結婚を許す主人公は「口笛を聞く機会が増えるね」と答える。やがて主人公の回想は、白鳥が訪れる季節がやって来るところで終わる。そして主人公にとって白鳥たちは「口笛を吹く白鳥」なのである。
物語を読み終えてみると、物語が語られている間ずっと、口笛が聞こえていたような錯覚に陥る。
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