もの凄く志の高い本だ。
前書きや解説を読むとそれがよくわかるのだが、それにしてもここまでこだわった本を作ることができたのであればアンソロジストとしては本望だろう。
英訳等からの重訳を避け、あくまで本来の言語からの翻訳を目指したという点や、可能な限り若手の翻訳者を採用したという点、ただでさえ翻訳の機会にめぐまれない東欧の小説を、翻訳する事ができる機会ができたというのに、古典的な名作を採用せず、21世紀以降に書かれた作品を選ぶという英断、それだけでもうお腹が一杯になりそうだし、読む側としては姿勢を正して読まなければいけないという気持ちにもなる。
が、しかし、志が高い本だから面白いのかというと微妙なところで、「SF・ファンタスチカ」となっていながらもどちらかといえば「ファンタスチカ」の比重が高く、エンターテインメントな話を期待するとがっかりする。
かなり幅広いジャンルのバリエーションがあるのでどれか一編は必ず気に入る話があるだろうけれども、どれも気に入るという可能性はわりと低い。それにいくら紹介したかったからといって長編の一部だけを翻訳するのは反則だろう。
この一冊が呼び水となって東欧の作品がもっと翻訳される日がくるようになってくれれば、たしかに嬉しいけれども、このままでは、長編の一部だけ翻訳という、おあずけ状態が続くだけなのでむごすぎる。
ゾラン・ジヴコヴィッチ(ジフコヴィッチ)の「列車」が一番面白かったかな。「SF・ファンタスチカ」という括りで見なければ、それ以外の話も興味深く読むことが出来るのだけれども、「SF・ファンタスチカ」、特に「SF」という括りで捉えようとしてしまうとハードルが高くなってしまうのは僕の場合仕方がない。
翻訳者の一人のブログによると、ロシア編も予定されているようなので、それは本当ならば、そちらも楽しみである。
『時間はだれも待ってくれない』高野史緒 編

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