『西遊』まどの一哉

  • 著: まどの 一哉
  • 販売元/出版社: ワイズ出版
  • 発売日: 2011/12

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去年、僕がもっとも衝撃を受けた漫画が、まどの一哉の『洞窟ゲーム』だったのだけれど、なにしろ漫画化デビューして三十三年目にして初めて単行本が出たというくらいにマイナー作家なので、次の作品集が出るまでには長い期間がかかるだろうと思っていたら、今月に入ってまどの一哉の新作が出たのでびっくりした。しかも初の長編である。「架空」という一年間限定の同人誌に連載されたものをらしい。「架空」の「架」の上の部分が「ガロ」となっているところからして、どんな本なのか想像がつくが、凄い本だよねえ。
で、『洞窟ゲーム』を読んだことがある人ならばわかるだろうけれども、まどの一哉のシュールでありながら狂気に満ちているあの世界を長編で読まされるというのは耐えることができるのだろうかという不安もある。この本の帯には「奇妙な味」と書かれているけれども奇妙どころじゃないよねえ。
表紙と題名から察するに西遊記をモチーフとしているようなので、口当たりはマイルドなのかもしれないと思いつつも読んでみると、やっぱりまどの一哉だった。
時代は現代だが、開幕早々三ページ目で主人公とその奥さんが交通事故にあってしまう。次のページで主人公の奥さんが、血を流して横たわっている自分のそばに立っていて、自分は死んだのだと理解する。そこへ白馬がやって来て一緒に天竺へ行きましょうと、奥さんを乗せて飛び立っていく。
一方主人公は病室で目覚めるのだが、ベッドの脇に一匹の猿がやって来て、奥さんは死んでしまったが、その昔三蔵法師と共に天竺へ行った白馬と共に天竺へ行ってしまった、お前はどうする。と聞いてくる。
奥さんは三蔵法師であり、主人公は孫悟空なのだ。
猪八戒や沙悟浄の役割を持つ人物も登場するのだが、二人とも愛する人が死んでしまい、自分は生死の境をさまよってカッパと豚に出合い、主人公と同じく愛する人を探し出すために天竺を目指すこととなる。
天竺とは夢の世界なのか、それとも死後の世界なのか、やがて物語は現実とあちらの世界との境界も曖昧になり、さらには時間の流れも奇妙に混ざり合っていく。狂気を孕んだまま。
このまま、合理的な説明のつかない狂気を孕んだ世界のまま物語が終わったならば、それはそれで傑作になったのだろうけれども、最終話でまどの一哉はこちらの予想外の地点に物語を着地させてしまう。
こんな話も描く人だったのかと、驚くと共に、こういう結末を迎える話を描くまどの一哉がよりいっそう好きになってしまった。

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