前回からの続き
『プレイバック』を読んだのは多分、高校生のころだったはずだ。
当時は「しっかり」にがっかりしてしまったのだが、高校生だったからチャンドラーの小説を表面的にしか読みとれていなかったせいも多分にあるだろう。
ということで、今ならばどう読むことが出来るのかと思い『プレイバック』を再読してみることにした。
チャンドラーはこの小説を前作『長いお別れ』から五年後に書き上げた。チャンドラーはそもそも『長いお別れ』でマーロウ物は終わりにする予定だったという説もある
『プレイバック』じたいも、ハリウッドの映画用に書いた話が原案で、原案ではマーロウは登場しない。
まあ、そういった裏話的な部分はさておいて、『プレイバック』という物語はマーロウが、とある弁護士から一人の女性の尾行を依頼されるところから始まる。
尾行を始めたマーロウはメキシコ国境近くのエスメラルダという町にたどり着き、そこでマーロウはターゲットの女性、ベティに接触をする。
さて、問題の科白は物語の終盤、マーロウがベティと一夜を共にした次の日の二人の会話の中に登場する。
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
原文はこうなっている。
“How can such a hard man be so gentle?” she asked wonderingly.
“If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.”
「しっかり」は「hard」で「優しい」は「gentle」となっている。
マーロウの科白は女性からの質問に対する答えであり、マーロウのセリフだけを抜き出して単独でその意味を理解しようとしても無理がある。
そして、作家の矢作俊彦はこの科白を
「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」
が正しいと書いている。
丸谷才一、生島次郎、角川春樹ときて、次にこの言葉の伝道師的な存在として思いつくのが去年惜しくも亡くなられた内藤陳だ。
名著<読ま死ね>シリーズのどこかで多分この言葉を語っているに違いないと思い調べてみたら、第一巻の『読まずに死ねるか』の冒頭でこの言葉を書いていた。
タフでなければ生きていけない
だが、優しくなければ
生きる資格がない
-R・チャンドラー
「ハードボイルドだど」の内藤陳は生島次郎訳を継承していた。
「hard」も「gentle」も単純に日本語に置き換えてしまうのは難しい。
「hard」の意味にしても、(体が)頑丈、(考え方が)冷静、(分別が)しっかりしている、無情、等いくつもの意味を持っている。しかし、「hard」は普通「強く」とは訳さないんじゃないだろうか。
そう考えると、今浸透している「強く」は原文から翻訳したと考えるよりも「しっかり」が「タフ」になり「タフ」から「強く」へと変っていったと考えるほうがいいかもしれない。多分、「タフ」と言い切ることに対しての恥ずかしさが「強く」という言葉を選ばせたのだろう。
そういう意味においては、
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。
からはハードボイルドの精神は抜け落ちてしまっているのだ。
この話題はまた後日に続く
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