『半球の弔旗』レジス・メサック

  • 著: レジス・メサック
  • 販売元/出版社: 牧神社
  • 発売日: 1977/2

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ザミャーチンの『われら』の時にも触れたのだが、世界最大のネット書店amazonにも登録されていない本というのはたまに存在する。
レジス・メサックの『半球の弔旗』の本もその一冊だ。というか、牧神社から出版されたレジス・メサックの本『滅びの島』、『窒息者の都市』、『半球の弔旗』の三冊は現時点でどれも登録されていない。
そもそもレジス・メサック自身が生前はほとんど無名で評価もされず、作者の死後二十年以上経ってからようやく本国フランスで評価されたくらいなので、仕方ないことかもしれない。
『半球の弔旗』は破滅SFということだったので前々から興味はあったのだが、伝え聞く情報によると、陰鬱でグロテスクな内容ということだったのでなかなか踏ん切りがつかなかった。
しかし、そもそも破滅SFというのは陰鬱だったり、グロテスクだったりすることが多いわけで、そう考えると思い悩む必要も無いのである。
で、ちょうどいいタイミングで、失敗しても後悔しない程度の価格で手に入れることができたので読んでみた。
書かれたのが1934年という昔の時代なので時代がかった文章かと思いきや、全然そんなことは無く、もちろんそれは翻訳者の力も大きいのかもしれないが、レジス・メサックの文章は現代でもそのまま通じるということに驚いた。
第二次世界大戦が起こり、この本が書かれたのは1934年なので作中で起こる第二次世界大戦は現実に起こった戦争とは大きく異なるのだが、日本人科学者が開発した、大気の組成を毒ガスへと連鎖反応的に転換させてしまう新兵器によって人類は滅亡してしまう。
当時のフランスにおいて、日本という存在がある種の脅威と感じていたのか、それともメサックの類なる先見性からきたものなのかはわからないが、破滅の決定打となる原因が日本というのはなかなか興味深い。
主人公と10人程度の子供たちは高山地方の洞窟にピクニックに来ていたために運良く助かる。しかしそこからの展開は作者の悲観主義が炸裂した陰鬱な展開となる。
ジュール・ヴェルヌは『十五少年漂流記』で無人島に漂流した少年達が力を合わせて生活していく物語を希望を持って描いていた。メサックのこの小説も、生き残った子供たちが力をあわせて生き延びていくという物語として描くことも可能だったはずだ。
しかし、メサックは希望など描かない。
ウィリアム・ゴールディングは同じような設定で『蠅の王』を描いた。
メサックのこの物語もある意味『蠅の王』と同じ物語だともいえるのだが、『蠅の王』には大人はいなく、導く人がいない故に、悲劇的な方向へと向かっていくのに対して、メサックの場合は主人公が大人でありながら、この主人公が最初っから子供たちを導くことなど放棄しているという点で大きく異なる。もはや性悪説とかそういったレベルの話ではない悲観主義だ。悲劇的な方向へとすら向かおうとはしない。
変性した大気によって今までの言語による発音が困難になり、子供たちは独自の発音をもった言葉でコミュニケーションをし始める。子供たちの数は少しずつ減り、男の子が七人、女の子は一人という状況下で女性中心の社会が形成され、嫉妬やねたみ、自己顕示欲による暴力によって少しずつ人数が減っていく。
物語の視点はあくまで子供たちを突き放した主人公の視点なので、子供たちの社会がどのようになっているのか、または子供たちがどのように考え行動しているのかは定かではない。子供たちの行動は主人公が見たまま、そして子供たちの内面に関しては主人公が感じ取ったままに描かれるだけだ。
そう、突き放しているというよりも、あきらめていると言ったほうがいいだろう。読んでいて感じるこの陰鬱さは、主人公というよりも作者の持っている悲観主義的なあきらめが存在するからで、しかもそのあきらめが中途半端にあきらめている、いかにもごく普通の人間らしいあきらめから来ているのだ。
日本でも再評価されないものだろうか。

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