深沢七郎といえば『楢山節考』なのだが、僕は『楢山節考』は読んでいないし映画の方も観ていない。
どんな話なのかあらすじは知っていて、読めば陰鬱な気分にさせられそうな感じがするので今まで読む気も起こらなかったし、この先も読むことはないだろう。それは映画の方においても同じことだ。
そんば僕が何故、今頃になって深沢七郎の『笛吹川』を読む気になったのかといえば、『本の雑誌』で、情け容赦なくやたらと人の死ぬ小説だと紹介されていたからだ。
『楢山節考』のあらすじだけで、僕は深沢七郎が道徳やヒューマニズムの世界を描く人だと勝手に思い込んでいたのである。しかし『笛吹川』はそんな世界ではないらしい。今まで勝手に思い描いていたものとどう違うのか、読んでみなければわからない。というわけで読んでみることにしたのだった。
うーん、これはノワールだなあというのが実直な感想。ジム・トンプスンかはたまた、ジャン=パトリック マンシェットを彷彿させる。
武田信虎、信玄、勝頼の三代が戦をしていたころ、そのお膝元、笛吹川の河川に住む農民一家、六世代にわたる年代記。
最初に登場する主観的な視点のある登場人物は、彼が主人公なのかと読んでいくと早々に殺されてしまい物語から退場してしまう。
それ以降は誰が主人公ともいえない俯瞰的な視点から物語が展開し、そして病気で死ぬ子供、火をつけられ焼け死ぬ人々、戦で死ぬ人・・・・・・いとも簡単に死んでいく。
もちろん死ぬばかりではない。新たな命も誕生する。しかし深沢七郎が描く世界においてはすべてが等しく、農民も武士も身分の違いにかかわらず死んでいくのだ。そしてその中に、悲しみも喜びも同時に存在している。
文庫にしてわずか250ページ。異様な迫力に満ちた話だった。
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