『神様のみなしご』川島誠

  • 著: 川島 誠
  • 販売元/出版社: 角川春樹事務所
  • 発売日: 2012/04

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ピュアフル文庫という文庫本のレーベルがあった。
ジャイブという出版社から出ていた10代を主人公とした小説を中心とした文庫シリーズだったが、途中からポプラ社に移管され今はポプラ文庫ピュアフルという名前となっている。
このレーベル、時々アンソロジーを出しているのだが、川島誠の短編が収録されることが多い。最初は、雑誌「飛ぶ教室」に掲載されていたものを再収録したものだったが、途中から書き下ろしの短編が収録されるようになった。
アンソロジーなのでそれぞれの本にはテーマが定められており、そのテーマは音楽だったり、スポーツだったりする。なので収録されている短編もそのテーマに沿った内容のものが収録されているわけなのだが、アンソロジーに収録された川島誠の短編にはもうひとつ共通の要素があった。
それはどの短編も、愛生園という養護施設で生活している子供たちを主人公としていたことだった。
そんなわけで、たまに出るアンソロジーでこういうことをして、それが一冊の本にまとまる日がいったいいつ来るのやらと気長に待ち続けていたのだが、いきなり一冊にまとまって出版されたので驚いた。
一冊の本にまとまった愛生園を舞台とした話を読むと、川島誠の文章は川島誠の文章の中にあるからきらめいているのだなと感じる。アンソロジーとして他の作家の文章の中のひとつとして読むと、川島誠の文章だけが浮いてしまって見えるのだ。他の作家の文章とは調和の取れない個性の際立った文章のせいかもしれない。
物語は全八篇。語り口はいつもの川島誠の一人称の語り口で、今回は八人の子供たちの視点から描かれる。今までの川島誠の小説の主人公たちとほぼ互換性を持っているという点では八人の語り手の描き分けは川島誠の引き出しすべてを出し切ったという感じもしないでもない。しかし、今回は多分、川島誠の小説で初めてのことだろうと思うが、女の子の視点が加わっていた。
川島誠の描く女の子というのは意外であり新鮮であり、そして川島誠の持つポテンシャルが僕が考えている以上のものだったわけで、いい意味でこの本は僕を裏切ってくれた。
養護施設の子供たちは、児童虐待を受けた子供、両親に捨てられた子供、両親が殺されてしまったり、自殺してしまった子供たちである。
客観的に観れば彼らは悲惨な目にあっている。第一話に登場する女の子は、自分を助けてくれた男の子に感謝の気持ちを表すために何をするのかといえば、男の子の物を咥えるのだ。父親に性的虐待を受け続けた結果である。
しかし、そんな子供たちに対して、不思議とかわいそうという気持ちにはならない。それは多分、彼らをかわいそうなどと思うこと自体がおこがましい考えであり、さらには川島誠が、彼らを不幸な存在として描いていないせいでもある。
たとえばこんなエピソードがこの本にある。
養護施設にある図書室で、語り手の一人の女の子がこんな本を見つける。
その本は、ある養護施設の物語だ。そこで生活している子供たちは時々いなくなる。そしていなくなったきり戻ってこない。職員たちはそれが当たり前のこととして、子供たちが消えても誰も騒がない。そして、物語の途中でこの養護施設で生活している子供たちが臓器提供を前提として生かされていることがわかる。養護施設の子供たちも自分がやがて、ある日突然に自分の臓器、皮膚、髪の毛、自分の肉体すべてを提供する日がやってくることを知る。そんな内容の本だ。
彼女はこの本を読んで養護施設にこんな本が置かれていることにショックを受けるのだが、しかし、彼女はそのことを冷静に受け止め、受け入れ、そしてそれを乗り越えようとする。こんなエピソードを差し込むなんてさすがは「電話がなっている」の川島誠だと思ったりもするが、この物語は「電話がなっている」の返歌であり、「電話がなっている」を乗り越えようとする物語でもあるといえるかもしれない。
子供たちは決して下を向かない。
そしてこの物語は川島誠の傑作だと思う。

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