先日、母の散骨を行ってきた。
これで大きな作業がひとつ終わった。
母のことに関しては、あともうひとつ処理しなければならない事柄が残っていて、これが順調に処理できればいいのだが、ひょっとしたら最大の障害になるのかもしれないので少し悩んでいる。
まあそれはそれとして、生前は骨を海に散骨してほしいと言っていたはずだったのだが、母が会員となっていた「NPO法人 葬送の自由をすすめる会」に連絡を取ったところ、「葬送の自由をすすめる会」に対しては山に散骨するという形で契約が行われており、どうしたらいいのか父と悩んだのだが、本人には確認のしようなどあるはずもなく、父の意見を尊重して山に散骨という形で進めることになった。
散骨にあたってしなければいけないことが粉骨である。
ようするに遺骨を砂粒ぐらいになるまで細かくすりつぶさなければならないのだ。
お金を払って請け負ってくれるところもあるのだが、自分たちで粉骨することにした。
で、この粉骨なのだが、大変な作業であることは見聞きしていたので覚悟していたが、実際にやってみると骨の折れる作業だった。
焼かれた骨というのは案外もろく、ある程度の状態までは簡単に粉々にすることができる。しかし、そこからが大変で、なかなか思ったようには細かくならないうえに、微細な粒子状になった骨がけっこう舞う。
粉骨して骨が折れるというのはなんだかおかしな話だが、父の時にも同じことをしなければならないことを考えると少し気が重くなった。
舞城王太郎の小説に『煙か土か食い物』という小説がある。
この題名は、作中での主人公の祖母の言った言葉から取られている。
「人間死んだら煙か土か食い物や。火に焼かれて煙になるか、地に埋められて土んなるか、下手したらケモノに食べられてしまうんやで」
母の場合は、焼かれて煙となり、山に散骨されて土となり、そしておそらくはそこに住む動物、もしくは植物の食い物になった。
自然葬というものを最初は気軽に考えていた。
僕は仏教徒でもないし、その他の宗教を信仰しているわけでもない。だから山または海に散骨してもらいたいと言われたときも、特になにも思わなかった、本人がそうしたいと言っていて、自然葬を執り行っているNPO法人があるのであれば、何も問題など無いのだろうと思っていたし、それを僕が行うことに対しても何も問題は無かった。
しかし、実際のところは違ったのだ。
自分の家の近くに墓地ができることを嫌う人たちはいる。
神道においては死は穢れとして扱われる。
僕が生まれ育った町は、片田舎で半径1キロ以内にお寺が複数立ち並び、それに付随して墓地も存在している。
さらにはかつて土葬が行われていた元墓地も存在し、そこは木々に囲まれた小さな空き地となっている。僕が生まれる数年前あたりまでその墓地には遺体が埋葬されていた。
そんなわけで、僕の生まれ育った町は、日常の生活する世界に当たり前のように人の終わりの形が共存していた。
そんなわけで、幽霊やお化けは怖いと思ったが、お墓そのものは怖いと思ったことは無い。
でも、みんながみんな、僕と同じような考えを持っているわけではない。
散骨のための山が近くにあるということを忌み嫌う人もいる。
散骨では成仏しないという人もいる。
さらにいえば、日本には「墓地、埋葬等に関する法律」というものがあって、「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない。」と規定されている。つまり、墓地以外の場所に埋葬することは違法行為なのだ。
ただし、ここで規定されているのは埋葬及び埋蔵であって散骨ではない。地面に撒いても、その上に土もしくはそれ以外の何かをかぶせなければ法に触れない。逆に、何かをかぶせれば違法行為になる可能性がある。
日本において散骨とはそういう行為なのだ。
コメント