ルパン三世はアニメの方はパート2までは見ていたし、漫画の方も何冊か読んだことがあって、好きだといえるのだが、それほど熱心なファンでもない。
今はもう、アニメ全般を見ることなど無くなってしまっているけれども、テレビでルパン三世のアニメを見なくなったのはアニメを見なくなった時期よりももっと昔だ。
ルパン三世の声を担当していた山田康夫が亡くなるよりも前から見なくなったので、僕が好きだったルパン三世というのはパート2までなのかも知れないが、ではパート1とパート2とではどちらが好きかといえばパート1の方だと思うのだが、それは結局パート1の方がパート2よりも話数が少なくって、面白くない話の比率が少ないせいでもある。
どのルパン三世を見てもどこか物足りない部分が残っていて、結局、どのルパンが好きか決められないのだ。
たとえば、映画版ルパン三世の場合、『ルパン対複製人間』と『カリオストロの城』とではどっちが好きかといえば、『ルパン対複製人間』の方が好きなのだが、『ルパン対複製人間』は世界をまたにかけるアクションという点で空間的な広がりがあるのに対して奥行きが無く、それ故に世界の薄っぺらさがあって、『カリオストロの城』が持っている奥行きの深さにあこがれる。でも『カリオストロの城』を観ると、『ルパン対複製人間』の持つ軽さや空間的な広がりが無いことに物足りなさを感じてしまう。
どちらを観ても自分の求めるルパンはこれじゃないという気持ちがどこかに存在するのだ。
単なる自分のわがままなんだろうと思っていたのだが、この特集を読んでそう思う気持ちに、わがままと言い切れない部分があるのに気がついた。
原作者のモンキーパンチからして、連載にあたって、明確な設定などなく行き当たりばったりの状態で初めていたし、アニメのパート1からしても、人気が出なかったために途中で子供向けに路線変更していたりしていて、ルパン三世という世界はもともと行き当たりばったりで明確な基準を持たない世界だったのだ。
そもそも、ルパン三世が乗る車からして最初はメルセデス・ベンツSSKだったのが、パート1の途中からフィアット・500に変更されている。最初は金持ちという設定だったのが、途中から金に困っているので泥棒をしているという設定に変り、フィアットに変更されたのだ。
そんな風にシリーズの途中で設定が変化しても耐えうる世界であり、さらにいえば、シリーズの途中で大きく絵柄が変化しても許容されているのがルパン三世の世界だろう。
パート2の「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパンよ」の二つのエピソードは宮崎駿が担当したせいもあって他の回と比べて絵が大きく異なっていた。しかもその回だけ映画なみのクオリティだったので驚かされる。
通常、テレビアニメというのは無理なスケジュールの問題で後半に行くにしたがってクオリティが下がる確率が高くなる。多分、テレビアニメ史上において、終盤で異常なクオリティの回が登場するルパン三世のパート2はきわめて稀有な事例なのではないだろうか。
それというのも、山田康夫が、絵が完成されていなければ声を当てることはできないと突っぱねたことから、ルパン三世のシリーズは絵が完成してからアテレコが行われるようになったということも影響しているのだろう。
ルパン三世にかかわった人たちの多角的な視点でのインタビューを読むことで、そういういままでなんとなく不思議に感じていたことが、不思議でもなんでもなかったということがわかる面白い特集だった。
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