第50回日本SF大会が静岡県で開かれたことから、第50回日本SF大会の公式blog上で、静岡県を舞台としたSFを集めた静岡SF大全と静岡SF論が連載された。
この本はこのWEB上の記事をまとめた物のように思えるのだが、実際は異なっていて一部の評論は重なっているものの、ほぼ別物といっていい内容となっている。
地方の出版社からこのような本が出るということは意義のあることなのだが、しかし、無理に静岡とSFとを結びつけようとして半ば牽強付会的になっている面もある。
たとえば、序文で、科学を盲信しすぎているという文章があるのだが、文脈からみると、科学は必ずしも正しいわけではないので信じすぎてはいけないという意味に取ることができる。しかし、そもそも科学というのは信じるものではないので盲信するという事自体が間違っている。むろん、科学を盲信している人たちがいることは確かなのだが、それは科学というものを正しく理解していないからにすぎない。
また、一メートル移動すれば、太陽との角度も異なるという文章がある。
これも確かに間違ってはいないのだが、太陽と地球との距離において、一メートルという距離の違いによる角度の差などは知覚できるような差ではないので、例えとしてあまり説得力が無い。土地に値段を付けて切り売りするようになったのは近代からだといわれても、そもそも土地に価値を見出して領土としたのはそれ以前からだしその結果が静岡県となっているのではないだろうか。
むしろ、怪獣映画が決戦の舞台を富士山にしているのは静岡であることに意味があるのではなく、ビジュアル的に映えるからだというごく当たり前な解釈のほうが納得できるし、腑に落ちる。
そういった点において、あまり静岡とSFとを結びつけていない評論のほうが、興味深く読むことができるし、後半の作家別の評論などはそういった傾向の面白い評論ばかりだった。
しかし一番驚いたのは巻末に連載物のエッセイが掲載されていたことだった。
この本は「しずおかの文化新書」という業書の中の一冊なのだが、この業書を通して連載されているエッセイがあるのだ。
SFに関係ない話を書いている人もいるのだが、SFに関係のある話を書いている人もいる。そしてその人は、この業書の他の本を調べて見ると、それぞれの本のテーマに沿った話を書いていたりするのだ。すばらしいなあ。
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