『滅びの島』レジス・メサック

  • 著: レジス・メサック
  • 販売元/出版社: 牧神社
  • 発売日: 1975/7

半球の弔旗』に引き続いて『滅びの島』を読む。
書かれた順番的に言えば『窒息者の都市』の方を先に読んだほうがいいのだろうけれども、なんとなくこちらの方を先に読んだほうが良いような気がしたので『滅びの島』の方を優先したのだ。
で、ざっと読んだ範囲では、三作の中で一番SF色が薄い。
『半球の弔旗』が最終戦争、『窒息者の都市』が未来社会というSF的な設定を用いているのに対して、『滅びの島』は南米のチリ沖にある孤島を舞台にし、そこで原始的な生活を送っている矮人種族とのふれあいを描いた話だ。と書くとなんだかほのぼのとした内容のように思えるのだが、ふれあいなどという言葉をあえて使ってみたけれども、実際はそんなほのぼのとした物語ではない。糞尿と嘔吐と作者の厭世観が炸裂したグロテスクな物語だ。
主人公はあくまで語り手に過ぎず、原住民に対して盛んにアプローチをするのは主人公が師事する博士のほうだが、主人公達一行はこの原住民たちとコミュニケーションを図ろうとし、そして彼らがクレチン病患者であると仮定したうえで彼らの血液から血清を作り出し彼らの病気を治そうとするのだ。
やがて血清を打った原住民の一人は徐々に言語を理解するようになり実験は成功したかのように見えたのだが、そもそも前提となるものがあくまで仮定にすぎず、孤島を支配している様々な要因は主人公たちの前に重くのしかかる。それというのも糞尿にまみれ近親相姦を繰り返す彼らは実は自分たち人間の未来の姿で、いずれ人類は彼らと同じ末路を迎えるのではないかということを暗示させているからだ。
事実、その暗示のとおり、主人公たちは原住民達を治すどころか逆に自分たちが彼らと同じ行動をし、知識も知恵も失おうとする。かろうじて主人公一人だけが助け出されるが、この物語が書かれた時代相応の人類の叡智すらも無意味にさせてしまうこの孤島の物語は、平井和正に代表されるいわゆる人類ダメ小説とは少し異なる形ではあるが、人類の未来に対しての悲観的な物語になっている。
一方、同時収録された短編「蜘蛛の音楽」 の方はというと、蜘蛛の巣が楽譜になっているという発想の短編で、蜘蛛の巣の図解が挟まっていたりと厭世観だけがレジス・メサックの特徴ではないということをしらしめる作品なのだが、『滅びの島』のインパクトのほうが大きすぎて霞んでしまっている。
ちなみに、『半球の弔旗』は『テンマシマシカミ』という題名で翻訳した人がいて、WEBで全文を読むことができる。『テンマシマシカミ』ってなんだか変な題名だと思うかもしれないが、『半球の弔旗』の原題は『キャンザンザンジリ』でこれは「天にまします我らの神よ」が訛った言葉であることを考えると『テンマシマシカミ』の方が原題に忠実な題名ともいえる。

コメント

  1. Vingt-mer より:

    テンマシマシカミを訳した者です。
    たまたま見つけました。
    これから、あれこれ拝読させていただきます。

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