うーん、一回読んだっきりでは手に負えない。
そもそも、辻原登が着想を得たコンラッドの『闇の奥』すら読んでいない状況では、作者の力量と自分の読解力との間に大きな開きがあるのは目に見えている。
そんなわけだから面白かったのかどうかといえば、面白くなかった。が、楽しめなかったかといえばそんなことはなく楽しめた本ではあった。
太平洋戦争末期に矮人族と名付けられた小人の一族を探してボルネオで消息を絶った民族学者を探す物語ではあるけれども、物語のベクトルは一直線ではなく、断片的でかつ、予想もつかない地点から民族学者に対するアプローチが描かれる。
つまり、民族学者を追い求める一直線での物語としてはないので、単純な物語としては面白くない。しかし、断片的でかつ予想もつかないつながりを見せる物語としては、本質的な部分を理解できないままでも楽しむことができる。
民族学者を追い求めることは同時に謎の矮人族を追い求めることであり、首狩りの文化を持つ矮人族の存在は、村上春樹の『1Q84』におけるリトル・ピープルと同義的な装いを持つ。
さらにいえば、要所要所で登場する、特に雑誌掲載時においてはタイトルにもなっていた「イタリアの秋の水仙」いう言葉に辻原登が与えた意味とエピソードがこの物語全体に与える色合いの面白さも素晴らしい。
民俗学者をめぐる物語は虚実曖昧なまま混沌としたタイトルどおり闇の奥底をのぞかせつつも「イタリアの秋の水仙」というキーワードがそこにロマンスという彩りをつけるのである。
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