『淫女と豪傑 武田泰淳中国小説集』武田泰淳

  • 著: 武田 泰淳
  • 販売元/出版社: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/1/23

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武田泰淳の本がやけに出るなあと思っていたら、生誕百周年記念ということらしい。
一つ残念なことは、僕はこの本を紙の書籍で買ったのだが、電子書籍でも出たということだ。まさか電子書籍化などされるまいと思っていたのでちょっとだけ悔しい思いをした。
それはさておき、今回は題名にもある通り中国小説を集めた短篇集。僕は武田泰淳のことをほとんど知らないので、彼が中国という国に対して思い入れがあり、幾つもの中国小説を書いていたことも知らなかった。
ただ、『十三妹』という小説があるのは知っていたので、中国に思い入れがあったと知ってもそれほど不思議ではない。
そしてこの本の冒頭の一遍「女賊の哲学」が、『十三妹』の原型となった短編だった。『十三妹』は未読なので、どのくらい違うのかということはわからないのだが、中国という国が僕にとってはよくわからない国であり、よくわからない文化と風習を持つ国であるがゆえに、「女賊の哲学」の主人公の行動原理もよくわからない。主人公以外の登場人物も彼女の行動を理解し得ない。しかし、わからないながらにも彼女の不可解な行動が実は最初から最後まで首尾一貫とした彼女なりの考えに基づいて行われていたことがわかるラスト、不条理が合理的な解釈に転換されることによる凄みのようなものが襲いかかってくる。
中国三大悪女の一人、呂后を語り手とした「女帝遺書」もまた凄い話で、なにが凄いかといえば、悪女である呂后を単純な悪女として描かず、やはりこれまた「女賊の哲学」と同様に、彼女なりの信念と行動様式をもって悪行を行い、そしてそれを単純に悪として描かない作者が凄いのである。
「烈女」も同系統の話なのだが、これらの強烈な女性の物語がある一方で、題名そのもの、そこで描かれる廬州の風景が叙情的かつ、ゆるやかに語られる「廬州風景」という短編があったり、男と女の考え方の違いを悲しい物語として描いた「人間以外の女」という話もある。特に「人間以外の女」において、妻が人外の生き物であることを受け入れることができない主人公と、主人公のように理では考えずに情で考える主人公の兄嫁が、物語の最後で主人公たちに諭す言葉が考えさせられる。

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