『太陽のパスタ、豆のスープ』の中で、ドリフターズ・リストという言葉が登場する。
ドリフターズという言葉を聞くと僕ぐらいの年代の人間の場合、いかりや長介をリーダーとするコントグループを想像してしまう。正確にはドリフターズじゃなくってザ・ドリフターズだし、僕よりももう少し上の年代だとコントグループではなく音楽バンドになるだろうけれども、とにかくドリフターズという言葉を聞くと頭の中ではいかりや長介と四人のメンバーの姿が浮かび上がる。リストという言葉が余分に付いてもだ。
が、しかし、この本の作中で使われるこの言葉の意味は漂流者としてのドリフターズであり、その漂流者とは人生という大きな流れの中で溺れて自分の居場所を見失ってしまった人間のことであり、その溺れてしまった人間が藁をもつかむ思いで手にするリストがドリフターズ・リストで、そしてそこに書かれているものは自分自身がやりたいことを書きだしたリストなのだ。
主人公は二ヶ月後に結婚式を控えた女性。しかし物語早々、彼女は婚約者から一方的に婚約を破棄されてしまう。幸い僕はこのような経験をしたことがないので、どんな気持ちになるのかは想像するしかないが、自分だったら主人公と同じように人生の流れの中で多分溺れてしまうだろう。
生きる気力をなくしたとき、とりあえずなんでもいいからやってみたいこと、やってみたかったこと、やり残したことを書きだして、そしてそれを少しづつ実行していく。やることが残っているうちは、自分自身を見失いはしない。
宮下奈都は元気が出せそうな物語を書くのがうまい。
僕もこの先、人生という大きな流れの中で溺れてしまうことがあるかもしれない。そうなったときにこのドリフターズリストを思い出して実行してみようと思う。
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