やさしさの距離

やさしさの距離というものをずっと考え続けている。
ここ数ヶ月のあいだで何度か、他者の心の病にかかわってしまうことがあった。
正直な話をいえば、僕と妻とが抱える問題ですら解決できていないのに他者の問題にかかわりあったからといって何ができるというものでもない。なので、かかわりあうことは避けたほうがいいのだが、でもやはり知ってしまった以上、避けて通るわけにもいかない。僕が悩み続けているのと同様に、その人達も悩んでいるのだから。
しかし、自分のことでも手一杯の中で、他者の問題についてまで関わりあうのは精神的に参ってしまう。
所詮、他人の問題であり、何ができるのかといえば、何もできないのだ。その中でなにか自分ができることがないかと考えても、自分自身がただただ、消耗していくばかりなのである。
どこかで適切な距離をもたないと、自分自身がつぶれてしまう。
統合失調症の当事者が家族と一緒に生活をしている場合、その家族が当事者のことを非難したり、当事者の考え方を否定したり、あるいは当事者の感情に巻き込まれて自分自身も感情的になったりするような家族であった時、そういった傾向にある家族と当事者の接する時間が一週間のうち35時間以上あると、再発率が格段に高くなるというデータがある。ちょっと落ち込んでしまいそうになるデータだ。
一般的に統合失調症の治療は薬の服用が主なのだが、薬を飲んでさえいれば再発を防ぐことができるという問題ではなく、一緒に生活する家族の接し方、考え方も重要だということだ。
しかし、これは頭で理解していてもそう簡単にできることではない。日々の生活を共にする場合、ついつい相手の感情に巻き込まれてしまいがちになってしまう。と書くとなんだか言い訳じみてくるので、書いていて自分でも嫌になる。
普段の行動を非難するということはしないけれども、妄想的な言動には否定をしてしまいがちになる。妄想を否定しないというのは難しいのだ。なぜならば狂気というのは伝染するからだ。
インフルエンザなどはウィルスを媒介として伝染するのだが、同じように、他人の狂気というのもその他人が身近な人間であればあるほど伝染するのだ。他者の狂気をそのまま受け止めるというのはとてもむずかしく、辛い。
だから、ある程度の距離をおいたほうがお互いに良い関係を保ちやすいのだ。しかし、その距離というのは難しい。
前述のデータのことを考えると、あまり妻と接しないほうがいいともいえるのだが、実際にはそんなことなどできやしない。
妻は、買い物に行くということができなくなって久しい。不特定多数の人と接することができないのだ。何故できないのかという理由はまだまだ根強く残っている妻の妄想に基づくものなのだが、ではその妄想に対してなぜ、そのような妄想を抱くようになったのかなどという理由を考えてもあまり意味がない。意味が無いということが統合失調症という病の難しさを表していると思う。
もちろん、今ではネットスーパーというものがあるので、ネット上で注文をして届けてくれる事もできる。しかしそれではなんの解決にもならない。僕は妻に、いつか自分一人で外へ出て買い物ができるようになって貰いたいわけであって、ただ単純に買い物ができるようになってもらいたいわけではない。
だから、僕は日々のすべての買い物を僕一人で行なっている。土曜日はまとめて買い物をするので大忙しだ。
mixi疲れとかtwitter疲れという言葉がある。
ネットにおけるコミュニケーションというのは結局のところ、つながるということが目的で、それは遠くだった距離を縮めるということに他ならないと思う。
でも、みんなが闇雲につながりたがる中で、僕はつながるための適切な距離というものを考え続けている。
僕と僕の妻との間にだって多分、やさしさの距離というものがあると信じているのだ。今のところまだ見つかっていないけれど。
ひょっとしたらそんな距離など無いのかもしれない。でも諦めてしまったらそれでおしまいになってしまうので僕はこの先も探し続けるだろう。
いったい、僕と妻の間のやさしさの距離というものはどのくらいの距離なのだろう。

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