『私のすべては一人の男』ボワロー=ナルスジャック

  • 訳: 中村 真一郎
  • 著: ボワロー=ナルスジャック
  • 販売元/出版社: 早川書房
  • 発売日: 1967

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古書で、3000円付近の値段がついている本だけれども、それ以下の、わりと手頃な値段のものが見つかったのでさっそく買って読んでみた。
実際に手にとって、ちょっと驚いたのは、こういう判型の本が早川書房で出ていたことだったのだが、そもそも、この本が出たのが1967年のことだから知らなくっても無理は無い。
で、それ以来というかそれっきり絶版で、ボワロー・ナルスジャックといえばそれなりに知名度があって、日本での人気もそこそこあったんじゃないかと思うのだが、なぜかこの本だけは文庫化されることもなく、そして、内容が内容だけに名のみ有名になってボワロー・ナルスジャックの隠れた名作と言われたりもしたけれども、実際に読んでみると、まあ変な話ではあった。
そもそも、タイトルからしてどんな展開になるのかおおよそ想像がつくのだが、かいつまんでいえば、手足等の人体の移植が簡単にできるようになった近未来。もっとも簡単にできるといっても、それができるのはその方法を発明した一人の博士だけなんだけれども、その技術を一人の死刑囚に利用することとなる。
どういうことかというと、死刑囚の体を、手足、下半身、上半身、そして頭の七ツに切断してしまう。この段階で死刑囚の死刑が行われたとみなされるのだが、この切断した部位を事故でそれぞれの部位を損傷した七人の人間に移植してしまうのだ。
ここで疑問に思うのは、頭部を移植した人間はどうなるのだ、ということだが、作中では、人の意識というものは頭部に宿るものではない、という設定のもと、頭部を移植してもその移植された人間は、死刑囚ではなくあくまで移植を受けた人間だという形で描かれる。
で、人の意識はどこにあるのか、という問題に対応するかのように、移植手術を受けた人たちが、一人、また一人と謎の自殺をしてしまう。
はたして、死刑囚の意志が働いたのだろうか。人の意志というものは人体に満遍なく存在しているものだろうか、という問題をはらんだまま、予想外の結末を迎えるのだが、残念なことに僕は、人の意識は頭部、脳にあるものじゃないかという考えが根底にあって、物語における考え方にはついていけなかったので、予想外どころか、予想通りの結末になって、驚きもしなかった。
とはいえども、アイデアとしては面白いし、結末に至るまでの展開も悪くない。結構楽しんで読んだのだが、文庫化されずに絶版のままでいる理由もよくわかった。

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