同じ出版社の『きのこ文学名作選』は出ていたことすら知らなかったので手に入れることができなかったのだが、今回は売り切れる前に気がついたので手に入れることができた。
最近はもっぱら電子書籍で読むことを重視しているけれども、こういう本がでると、やはり紙の本っていいなあと思ってしまう。
電子書籍と紙の書籍との一番の違いは、そこに書かれている情報を読み取るだけなのかそれとも、それ以外の部分を味わうのかという違いだと思っている。なので紙の本を読むというのは贅沢な行為であり、将来的に紙の本というのは贅沢品になっていくのかもしれない気もする。
それはともかくとして、この本は持っているだけで満足してしまう逸品であり、中身を読むのは二の次的な要素さえ醸し出していて、積読の多い僕にとっては、手に入れたことですでに読んだことにしても構わないんじゃないかと思わせる悪魔の一冊でもある。
が、ここはやはりそういった誘惑をはねのけて読むべきで、しっかりと読破した。
で、思うのは世の中に胞子が登場する文学がいかに多いということだ。
少し前に文庫化されたけれど、とりあえず素通りした小川洋子の『原稿零枚日記』の一部が抄録されていて、読んでみると想像していたものとはかけ離れた内容でこれは見逃すんじゃなかったと後悔したり、栗本薫の短編「黴」における僕の大好きな終末感ぷりを堪能したりしたうえに、尾崎翠の「第七官界彷徨」も収録されていたのでこれを読むことができたのは僥倖だった。
収録作品ごとに、文字の種類や大きさ、紙の種類が異なっていて、中にはページの中央部、ノドの部分に薄墨色で一行だけ印刷されている短歌があって、その直前にはページ番号だけが印刷された真っ白なページが数ページ続くといういやらしい仕掛けが施してあって、そそっかしい人ならば見過ごしてしまうようなレイアウトをしていたりと凝っているというよりもひねくれているといったほうがいいぐらいの造りなのだが、いっぽうで、それらが効果的なのかというと必ずしもそういいきれず、いろいろな種類の紙のカタログと化している面もある。しかし実際にこの本を手にとってみるとそんな不満など消えてしまい、紙の手触りを楽しみながらいつまでも触っていたくなる本なのだ。
コメント