男が主人公の話が五編、女が主人公の話が五編の計十編の短篇集なのだが、長島有の過去の作品のスピンオフ的な話があったり、そもそもこれらの短編が書かれた時期も古くは2003年、新しい話では2010年、発表された媒体もそれぞれバラバラなので、統一性があるわけではない。
だからといってバラエティにとんだ作品群なのかというと、バラエティにとんでいるようでいて、いつもの長島有の物語だったりするので安心して読むことができるなどといっているとたまにフェイントをかけてくる話もあったりするのであなどれない。
「十時間」だけは先に萩尾望都によるコミカライズ版の方を読んでいたので、あらためて活字の方を読んでも、イメージが萩尾望都の世界になってしまったので、ちょっともったいない気がした。
しかし、こうして統一性の無い長島有の短編を読むと、そこで描かれている細部の部分で、『特捜最前線』のテーマ曲とか、『フランダースの犬』の最終回で、ネロが見た絵がアニメ絵ではなく実写だったので不意をつかれてしまったとか、ファミコンのカセットの接触が悪かった時に端子の部分に息を吹きかけて誇りを飛ばすとか、「ヤムチャ状態」だとか、長島有と同じ時代、同じ物を共有した人にだけわかる世界が描かれて、そういう部分においては何をどんな風に描いても長嶋有の世界であることに変わりはなく、いうなれば、長嶋有の世界を定点観測しているかのような気分になるのだ。
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