僕ぐらいの年代だとミャンマーと呼ぶよりはビルマと呼んだほうがしっくりくる。
日本人の場合、自分の国の名前が変わるってことにあまりピンとこないのだが、政権が交代するたびに国名が変わるってのはどういう気持になるのだろうかと思うことがある。もっとも日本の場合、国名は変わらないけれども元号は変わることがあるのでそれに近いのかもしれないけれども、やっぱりそれとは大きく異るのだろう。
ミャンマーという国に関してなにを知っているのかといえばまったく知らないに等しく「ビルマの竪琴」ぐらいしか知らないし、ミャンマーという国に興味があるのかといえば今のところまったく興味はない。
で、作者はその国に何をしにいったのかといえば船戸与一の取材の手伝いで同行したわけであって、今回の話は高野秀行の紀行記だけではなく高野秀行の視点から見た船戸与一の紀行記でもあった。
高野秀行の文章は相変わらず面白くそして作者の視点もユニークな視点でタイトルにもある通りミャンマーの軍事政権を徳川時代の柳生一族になぞらえて対比する形で、多少強引な例えもあるけれども、面白く、本来ならば軍事政権ということで厳格に束縛された怖い国というイメージになりがちなのだがそんなそぶりも見せず、いい加減で適当で、それでいて仏教の教えにもとづく親切な国というイメージが伝わってくる。適度にいい加減というのはいいね。
また、娯楽要素に乏しいために安価な娯楽である読書が盛んで世界有数の読書大国であるというのはちょっとびっくりした。ちょっとだけミャンマーという国に親近感を持ってしまったよ。
一方、船戸与一の取材の方はというとこれもなかなかおもしろく、こういういい加減な取材であんな物語ができあがるのかと驚いた。最近、船戸与一の本を読むことが少なくなってきたのでこれを機会にまた読み始めてみよう。あと、ミャンマーの作家の本も翻訳されているようなのでこちらのほうも。
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