つい先日、悩みや相談を行っていた「チャイルドラインはこだて」が三月に活動終了を終了したというニュースが流れた。電話の受け手が減少したことが一番の要因だということだが、『死にたい』とか『これから自殺する』などの言葉を聞くのが精神的にきつい作業だというのはよく分かる。
僕の妻も毎日、早く死にたいとつぶやいているからだ
それでも妻が自殺を試みようとはしていないのは、楽な死に方が見つからないのと、親より早く死ぬことに抵抗があるからで、僕の言葉が届いているからではない。
ここのところ仕事の忙しさにかまけて、いろいろなことがおろそかになってしまっている。
いろいろというのは妻に関してのことだ。
妻が通院している病院は大きい病院なのだが、主治医が定着しないというか一年ほどで主治医となった先生が別の病院へ移転したり退職してしまったりとコロコロと変わっている。医師が変わるということは常に新しい治療を試みるチャンスがあるというふうに捉えれば悪いことではないのだが、そもそも人とのコミュニケーションを取ること、人を信頼することが困難になってしまった妻にとっては、まず主治医との信頼関係を築いてもらわなければいけなく、それには時間がかかる。信頼関係の無いままの受診はただ徒に時を過ごしているだけにすぎないし、妻の現在の状況を新しい主治医に知ってもらうためには妻のいない時に主治医と話をしなくてはいけないのだがそれもここのところ滞りがちだ。原因はもちろん僕自身にあって、今の妻の状況をうまくまとめて整理して話すことができないでいるからであり、うまく整理することができないのは、整理するためには今の辛い現実と向き合わなくてはいけなくて、それだけの勇気と気力が振り絞れないからだ。
妻の母親は相変わらず妻の病気に対して無理解で、傷つけるような言葉を平気で吐く。もちろんそれは妻の言葉を通しての内容なので、妻が相手の気持の本当のところを理解しようとはせず曲解している可能性もあるのだが、僕のいない所でそんな会話が行われているので止め立てもできない。
妻の、世の中を呪うような言葉や僕を非難する言葉を受け止めつつ、そんな妻の言動や行動が気にしないで良いレベルなのかそれとも気にした方が良いレベルなのか、今後どうしたらいいのかとかと、そんな毎日を送り続けると次第に消耗してくる。考えても考えても答えは出ないし、時間ばかりが過ぎていく。
現状維持を目指していても僕と妻はゆるやかに谷底へと向かって歩いているのだ。降りてしまえば二度と這い上がることなどできない谷底へ。
全ての希望も望みも捨ててしまえば、それも悪くはないと思う時もあるが、希望も望みも捨てきれるわけでもない。
このあいだ、風呂あがりにぼーっとしたまま妻と視線が合ったことがあり、その時に、
「そんな目で私を見ないで」と怯えた目で言われた。
妻は僕の表情から何かを感じ取ったらしい。別に妻の顔を見ようとしたわけでもなく、何も考えないまま、ただ妻と視線が合っただけなのだが、いったい僕はその時どんな顔をしていたのだろう。
そして僕は、何をしても妻を苦しめる結果にしかならないのだろうか。
コメント
んな ことはないと思います、 どうもhigaです。奥さんも 苦しんでいて・・・身近にいる人にこの痛みを理解してほしいのかなぁ・・・・・と思います。でも 人の痛みなんて 他の人からしたら理解できるのは とても難しいことだと思います。 今は そうすることしかできないけど・・・・病状が緩和していけば 何かしら道が開けると思います。
higaさん、コメントありがとうございます。
妻のことをかえりみてあげる時間が少なくなっていたことが負い目になっていろいろと弱気になっていました。
焦ってはいけないことはわかっているのですが、時として焦ってしまうこともあります。