以前はよく妻と映画を観に映画館へ行ったのだが、妻が病気になって以来、映画館に行くことはなくなった。
妻は他人の目を気にして外出することが困難になった上に、映画館の大きなスクリーンで大音量の音と共に映像を観ること、それが二時間程度の時間であっても妻にとっては脳に負担がかかるようで、観に行きたいと言わなくなったためでもある。もっとも、映画が嫌いになったわけではないので行けることができるのであれば好きな映画を映画館で観たいと思っているはずで、時折、観に行くことのできなくなったことに対しての不満をぶつけてくる。映画館で観ることができないのであればレンタルショップで借りて自宅で見ればいいじゃないかと思うかもしれない。しかしそれは、まだ健康だった時代によく借りて観ていたことを思い出すようで、これもなくなった。
観たい映画すらもまともに観ることができないという事柄は、統合失調症という病気が僕と妻からどこか遠くの手の届かない場所へと持ち去って行ってしまったものの一つだ。
かといって映画を観ることが無くなったのかといえばそうでもなく、テレビで放送している映画はたまに観るし、いつの日か、妻と一緒に映画館に映画を観に行くことができる日が来ることをまったく諦めているわけでもない。
そんなわけで、その日が来ることをちょっぴりだけ期待しながら、この本を読んでみた。
もちろんそんな目的で読む本ではないのだが、この本を読むと映画の見方が変わるのも確かで、面白く観た映画でも柳下毅一郎によって丁寧にそのつまらなさが説明されると、自分の見方の浅さ加減にああ、なるほどと思ってしまうのだ。
その一方で例えば『プラチナデータ』なんかは、この間テレビで放映したのを観たのだけれども、結局途中でどうでもよくなって観るのを止めたのだが、柳下毅一郎によってそのつまらなさが丁寧に説明されると、見なくて正解だったと思うし、有川浩の『図書館戦争』などは、僕は映画は観ていないけれども、小説のほうを読んでいて、その時にその設定の部分で引っかかってしまい続編は読むのをやめてしまったのだが、柳下毅一郎も設定の部分にひっかかったことを知ってなんとなく安心したりもした。そんなわけで、この本を読むとわざわざ映画を見なくってもいいかという気持ちにもさせてくれる。
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