忘れないように書いておこうと思う。
実家に帰った妻を迎えに行く。
本人は自分で車を運転して帰ってくるつもりだったのだが、その帰り道はおそらくかなり辛いことになるだろう。なにしろ厭な思いをしなければならない場所へ帰ってこなければならないのだ。むろん、彼女だって一人の大人であるからなんとかして帰ってくるかもしれない。でも苦しむ可能性があることがわかっていながら、放っておくことなどできるわけもない。
ということで電車で妻の実家へと向かったのだが、向かうに連れて気が重くなる。
メールではあんなことを書いていた妻なのだが、会えば不満をぶつけてくるはずだ。
で、妻の実家へ行ってみれば実際にそうだった。
ものすごく不機嫌で、そして不満と文句を言い続けている。
僕は妻の言葉を否定することなく、あやまり、そしてひたすら耐え続ける。
その一方で、妻の母親は平気で妻の言動を否定して、妻の神経を逆なでするようなことを言う。
数時間して、ようやく妻がもうここにいても仕方がないから帰ろうと言う。
高速道路に乗り始めたところで妻が、これが見納めだからゆっくり行ってというので速度をあまり出さすにゆっくりと帰ることにしたのだが、半分過ぎたところで予想通り、吐き気を訴え妻の体調が悪くなり始めたのでそこからは飛ばして帰った。
妻が通院している病院の医療相談室で相談に乗ってもらう。
入院させれば妻にもう一度大きな心の傷を負わせてしまうことになるので、入院をさせない方向で、今の状態を抜け出す方法を探し出すためだ。
もちろん、結論は医師の診察を受け、薬の服用をしてもらうしか無いことはわかっているのだけれども、睡眠を取ろうとしない状態でなおかつ食欲不振であまり食事を取ろうとしない妻に対して、どうやってその二つ、もしくはどちらか一方を促したらいいのか、その方法が全くと言っていいほど思いつかない。
ただ、闇雲に病院へ行こうとか薬を飲もうとか言っても駄目なのはわかっているし、それを無理強いすれば頑なに心を閉ざしてしまう。だから、今はあせらず妻と話をして妻の苦しみを少しでも理解して、そうして妻の信頼を得ることをするしかないのだろう。
とはいえども、時間は過ぎていく。
睡眠もろくに取らず、食事もあまり口にしない状況では妻の体が衰弱していくし、手が電気を浴びたようにしびれてきたと言い始めてきた。五年前と同じ状況だ。このままこの状態が続けば、手のしびれも誰かに電磁波を浴びせさせられているという妄想へと結びついてしまう。
入院はさせないつもりなのだが、入院も視野に入れておかなければいけないのかもしれないと思い始める。
もう一度、病院の医療相談室に行き入院について聞いてみる。
前回の時はろくに知識などないまま、なし崩し的に医療保護入院をさせてしまったので、その後、自分自身も精神的に参ってしまった。今回はそうならないために、入院させるとなった場合に考えられる事柄をいろいろと質問をした。
医療保護入院ではなく、任意入院であれば本人の気持ちも少しは安らぐことができるのだろうけれども、しかし任意入院の場合、本人が退院したいといえばその時点で退院させるしかない。ただし、入院して72時間以内であれば医師の判断により任意入院から医療保護入院へと切り替えることができるとのことだった。でもこれでは、結果として医療保護入院となってしまうのではこれはこちらが望む方法ではない。
また、開放病棟はあるのかと確認した所、今の病院では閉鎖病棟しかなく、市内の他の病院では開放病棟もあるかもしれないが、これまた、病気の状況によっては医師の判断で閉鎖病棟に移らされてしまう可能性は十分にあろということで、やはり手詰まりとなってしまった。
入院させるとなった場合は、自分にとっても妻にとっても辛い決断となるだろう。
しかしまずは、睡眠をとってもらうことと、食事をしてもらうことを最優先で進めることにする。
妻が時折、○さんが言ったとおり、薬を飲み続けていたらこんなことにはならなかったかもしれないね、と言うようになった。
まだ焦ってはいけない。
まだ遅くはないよと言うだけにしておく。
金曜日。
妻に思い切って言う。
薬を少し飲んでみようよ。
土曜と日曜はずっと側にいてあげられるから、何が起こっても助けてあげられるから。
妻がうなずいてくれた。
奇跡のようだけれどもこれは奇跡なんかじゃない。妻は自分でしっかりと理解していてくれていたのだ。
妻の服薬は続いている。
しかし薬を飲んだからといって全てが元通りになったというわけではない。
最初の日、妻はよく眠ったが食欲はまだでていない。
相変わらず、今日で私はもう最期だと言う。そして私が何もわからなくなって痴呆症みたいになったら、どこに入れるのと聞いてくる。
どこにも入れずに、家で面倒を見てあげるよと答える。
猜疑心はまだ残り続けたままだし、妄想もまだある。
妄想といえどもそれは妻にとっては真実でありそして記憶でもある。記憶が残り続ける限り、妻は苦しみ続ける。
そして、心配する僕に、そんな心配をする演技なんてしなくてもいいと、妻は言う。
疑われ続けることはとても辛く、精神的にも参ってくる。
五年前の時は、入院させたので治療に関しては全て病院任せにすることができた。そしてその間に自分自身の疲れと生活リズムを取り戻す時間的な猶予があったのだが、今回は違う。
前回のことがあるので、すぐに症状が良くなることには期待しないようにする。
妻は、誰も信じることができず、世界中でひとりぼっちだと信じ込んでいる。僕でさえ味方だとは思ってくれない。
それでも時折、理性的に考えてくれる時があって、その時は、私のそばに居てくれるのは○さんだけだと言ってくれる。
そして一緒に死んでくれる?と聞いてくる。
生きていてほしいから、今はそれは出来ないと答える。
しかし、何が妻のためになることなのだろうかと考えると悩むのだ。
もちろん、治療を続けることで妻が笑顔を見せてくれるようになることができればそれが一番いい。しかし、薬を飲み続けながらも、副作用に悩まされ、一向に改善されない頭痛に悩まされ、そして不安は残ったままで妄想も残り続けたままで、そんな状態で生き続けることとなった場合、それが正しい答えなのかといえば、僕には言い切る事ができない。
それを選ぶのは、当人であって僕ではないのだ。しかし、そういう判断が出来ない場合、その判断は僕が行わなければいけなく、だから悩み続ける。
あれから五年間。
こんな状態のままでもう疲れてしまったと言う妻に、僕はどう答えてあげればいいのだろう。
正直言えば、もう死んでしまってもいいかなという気持ちもあるのだ。
しかし、今はようやく少しだけ前に進むことができはじめることができた。この先がどこにつながっているのかわからないし、明日はどうなっているのかもわからない。けれども、やらなくてはいけないことが残ってる限りは生きていこう。
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