日々の名残 備忘録6

先日、義理の妹のお母さんが亡くなった。
朝方倒れているところを見つけ、そのまま病院に運ばれ手術を行ったのだがすでに手遅れの状態で、その日のうちに息を引き取ったそうだ。
僕の歳ともなると目上の知り合いに少しずつ亡くなっていく人が増えていく。
お通夜に行き、親族に簡単に挨拶をして帰ってきたのだが、葬式があるたびに頭のなかをよぎるのが妻のことだ。
妻も、故人と面識があったので本人も葬儀まではともかくとしてお通夜には出席したかっただろうけれども、妻は統合失調症である。
ただでさえ大勢の人のいる所に行くことが出来ない状態なのだから、親族や知り合いの多く集まる人の亡くなった場所に行くことは困難なのだ。
行きたくても行くことができない妻の心境は残念ながら僕には想像もつかない。
それでも今回は義理の妹の親ということで、出席できなくても仕方がないと思うこともできる。
ただ、僕が不安に思うのは妻の両親が亡くなった時のことだ。
妻の代わりに葬儀を取り仕切ったり、雑務を変わってあげることはできる。しかし、どうしても変わってやることができないことがらも存在する。
いつか訪れるその時までに妻の病状が少しでも良くなる、あるいは、少しでも人の大勢いるところに出ることができるようになってくれればと思うのだが、どうすればそうなるのかわからない。
もちろん、その時になればなったで、なんとか乗り切ることができるのかもしれないのだが、そうならなかった場合。どうすれば妻を支えて乗り切ることができるのか皆目想像もつかないというのが現状でもある。
同じく、先日のことだが、トーチwebというサイトの存在を初めて知った。
リイド社が運営している無料のwebマガジンであり、田中圭一や平方イコルスンといった漫画家による漫画が連載されている。
この中で僕が注目しているというか目の離せない漫画が道草晴子の『みちくさ日記』だ。
13歳という若さでちばてつや賞を受賞し、漫画家としても道を歩き始めようとしたところで精神科病院に入院することとなった作者自身の物語だ。
僕は妻を医療保護入院させた。
それはもちろん、それが一番良いことであると信じて行った結果であり、もちろん最初から医療保護入院させることしか考えずに行動したわけではなくその他のことも行った末に辿り着いた結論でもあったのだが、この『みちくさ日記』を読むと、自分が行った行為に対して、いや妻に対して申し訳ない気持ちに襲われる。
自らの意志では出ることの出来ない場所に入れられ、そして妻の入院した病院では、窓には鉄格子は無かったものの、窓は五センチ程度しか開けることができなく、それは目に見えない鉄格子と同じでもあった。
医療保護入院が必ずしも悪だというつもりはない。もちろんそれが良いことだと無条件に肯定するつもりもない。
ただ、それ以外の治療への道が閉ざされた時、最後にたどり着くのがそこで、もちろんそこにすらたどり着けない人たちもいるのだが、当事者の人たちが行き着く場所は閉鎖病棟なのだ。
そしてその場所は、治す側の気持ちと、治される側の気持ちがもっともかけ離れた場所なのだろうと思う。

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