翌日早朝、もう一度、妻と二人で安置室へ行く。
葬儀に出ない以上、何をどうしようとも悔いは残るだろうけれども、少しでもその悔いを減らしてあげたい。
通夜は、夕方。
義母と義弟、そして僕が出ていき、妻は家で留守番。
義母はときおり、悔いのない決断をしなさいと妻にいう。当然である、やはり出席して欲しいのだ。
参加しないという結論を出した妻に、ひと安心している僕は、いまさら妻の気持ちを揺さぶる義母に少しだけ怒りを覚えるのだが、ふと、そこで待てよと思う。
はたして、これが本当に良い結論なのだろうか。
通夜にも葬儀にも出ないという結論は、将来、多分、いや絶対に、後悔するだろう。
喪服に着替える中、それとなく妻に、
「一緒に来る?」
と言ってみる。
妻が着替え始めた。
親族用の控室があるので、もしものことがあれば、その部屋へ行けばいい。
義母達と別々の車で行けば、もしものときに別行動して先に帰ることもできる。
会場へ行くと、ナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」が静かに流れていた。
「ビリー・ホリデイ物語」のサントラやディオンヌ・ワーウィック、アビイ・ロードといったLPレコードが並べられている。
義父が好きだったものらしい。
50年代から60年代にかけての洋楽が静かに流れていく。
良いお通夜であり良い葬儀になりそうだった。
妻も、疎遠だった親族と時々話をしたり、通夜ぶるまいでも出された食事を食べることができていたので、全ては無事に終わりそうだった。
しかしそれは、通夜の全てが終わり、妻と一緒に車に乗り込むまでの話だった。
車に乗り込んだ瞬間、妻の感情は破裂した。
僕の方も張り詰めていた気持ちをほっと緩めた直後だった。
一体、何が悪かったのだろうか。何処で、僕は間違ったことをしてしまったのだろうか。
こんなにも妻を苦しめたのは何が原因だったのだろう。
しかし、考えても考えてもわからない。
精神的にボロボロになりながらも、妻の怒りを受け止め続けるうちに、妻の苦しみの原因が少しずつ判りかけてきた。
参加者の、僕を含めての悪意のない言葉が、妻を苦しめ続けていたのだ。
そんな言葉で傷つく人などいないと誰もが思うような言葉で妻は傷ついていた。
翌日の葬儀に、妻は出ようとはしなかった。
出なくて正解だった。
しかし、この先、後悔するかもしれないけれども、お通夜に出たことは救いとなるはずだ。そう信じたい。
ただ、忌中払い食事を食べている時、この食事を妻にも食べさせてあげたかった。食べることがこんなにも悲しいとは思わなかった。
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