テレビの旅行番組などを見ていると、行ってみたいなあと思う街並みや景色に出会うことがある。
で、実際に行ってみるとテレビで観た風景と全く同じで、もちろん同じでなければおかしいのだが、来てみて良かったと思うのはいいとして、実際に自分の目で見ることとテレビで見ることとなにが違うのかといえばあまり変わらない場合が多い。見るという行為においてはそれほど違いはないのではないかと思う。
昔、パリに旅行に行ったことがあるのだが、たしかに行って良かったと思うし、街並みを見た時には何を見ても感動した。だがしかしその一方で、パリという街は僕にとってはいろいろな面で大きすぎて、ただただ圧倒されていたに過ぎなかったのも事実だ。多分、一年ぐらいそこで生活をしていれば少しは客観的に受け止めることもできただろうけれども、そうなったらそうなったでパリという街は僕にとってありふれた風景と化してしまうだろう。
つまり実際に自分の目で見ることが大切なのではなく、どう感じ取ることが出来るかの方が大切で、場合によっては実際に行ってみるよりはテレビの画面越しに見た方が自分の身の丈にあった受け止め方が出来ることもあると思う。
ナイト・シャマランという映画監督の出世作となった『シックス・センス』という映画がある。
オカルト映画なのだが、キリスト教を背景としたオカルト映画ではなく、監督がインド系アメリカ人だけあってか、幽霊という存在が東洋的なものを背景とした、アメリカ映画でありながらそれまでになかった雰囲気を持つオカルト映画だったことと、物語の結末の衝撃性が話題となった。それ以外にもこの映画は舞台となったフィラデルフィアという街が美しく撮られている映画でもあったのだが、先の二つの要素のほうが話題性があったためにか注目されることは少ない。
フィラデルフィアを舞台とした映画で有名なものに『ロッキー』がある。その他に、僕の好きな俳優マイケル・パレが出演した『フィラデルフィア・エクスペリメント』……は少しマイナーな映画だけれど、トム・ハンクスとデンゼル・ワシントン主演の『フィラデルフィア』は有名な作品だ。
トム・ハンクス演じる弁護士がある日突然、事務所から解雇されてしまう。解雇されたのは、自分がエイズ患者でありゲイだったからではないかと疑問に思った彼は事務所相手に真実を求めて訴訟を起こす。というのが『フィラデルフィア』で描かれる物語の発端だ。
そして不当な差別と不平等に対して立ち上がるこの物語の舞台となる街がタイトルにもあるフィラデルフィアという街であり、この街は自由と平等と博愛を基本としたアメリカ独立宣言が行われた街である。
『シックス・センス』の映像のイメージが強いせいか、僕の頭のなかでのフィラデルフィアの街並みは曇り空の下にある。落ち着いた色彩の、どこかモノクロームに近い色をした街だ。だから、実際に行ってみたら想像の中の街と実際の街とのギャップの大きさに戸惑ってしまうかもしれない。多分、僕にとってのフィラデルフィアは曇り空の下にしか存在しないのだろう。
曇り空の似合う街、フィラデルフィア。通勤途中の車の中、曇空の下を走っている時、『フィラデルフィア』の挿入歌であるブルース・スプリングスティーンの『Streets Of Philadelphia』をかける。
ザック・アルフォードのドラムズから始まり、ロイ・ビタンのキーボードが重なる静かなイントロは、ブルース・スプリングスティーンの歌声なしに、このまま最後まで行ってしまっても構わないんじゃないかと思ってしまうくらいに素晴らしい。が、しかし、ブルース・スプリングスティーンの歌声が待ち構えていることがわかっているからこその期待感もあるからこのイントロが素晴らしいという部分もある。
この曲を聞きながら走っているとフィラデルフィアの街を走っているかのような錯覚に陥る。それはこの曲が流れている間、わずか3分49秒間のことなのだけれども、ブルース・スプリングスティーンのこの曲には風景を変えてしまう魔法がかけられているのだ。
そして、僕が住んでいるこの街も、自由と平等、そして博愛のある街になってくれるとうれしい。
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