雑誌連載している漫画は人気が出ると長く続く傾向が強い。
人気があるということはそれだけ面白いということでもある。しかし、連載が始まった当初から読み続けているのであれば連載が長くつづいたとしても付いていく事ができるけれど、途中から読もうと思うと、例えばその時点で30巻くらいあったりすると、いくら面白い漫画だからといっても読むのをためらってしまう。
ではどのくらいならば大丈夫かというと個人的には5巻くらいが境目だと思う。
もっとも6巻くらいまでだったら大丈夫だろうけれど、七巻になるとちょっと躊躇し始める感じがする。
だったら6巻以内で完結する漫画という条件にしても良かったのだが、選んだ漫画の最長が5巻だったので5巻という条件にしてみた。
その際に悩んだのが豪華版や文庫版の扱いで、大抵の場合、豪華版や文庫版は2巻で1巻にしてしまう場合が多い。最初に出た版では10巻だったとしてもその後で文庫版が出たとすると、文庫版は5巻でまとまってしまう。この場合、10巻として扱うか5巻として扱うかどうしようか迷ったのだが、ここでは少ない冊数の方を取ることにした。なので、このリストの中には680ページ近くあっても一冊という分厚い本も存在する。
99作品ではなく99冊にしたのも、そもそもが5巻という冊数にこだわったのであれば紹介する漫画のトータルの冊数にもこだわってみたいと思った結果で、作品数に換算すると75作品になる。もっとも記事中に補完的な意味合いで何作品か触れているので、それらを含めれば99作品くらいにはなるようにしてある。
最近の漫画だけではなくできるだけ幅広い年代を対象にして、少年漫画、少女漫画、青年漫画はもちろんのこと、海外の漫画も視野にいれ、ジャンルに関しても可能な限り幅広いジャンルから選んでみたのだけれども、レース漫画とスポーツ漫画に関しては面白い漫画であればあるほど長くなる傾向にあり、5巻以内で完結している漫画が、あるにはあるけれども、敢えて選ぶだけの面白さがあるかというと疑問でもあったので類似的な作品で代替してみた。
- 『神の獣』巴啓祐
巨大怪獣と人類との戦いの物語だと思っていたら、というかこの表紙でしかもこういう内容だと思い込んでいながら、当時の自分がよく買ったものだなと感心してしまうのだが、終盤における予想外の展開に驚いた。そこに至るまでの内容は忘れてしまっているけれども、終盤であきらかになるその驚きの真相は今でも記憶に残っている。基本的にはゴジラ対人類という構図であり、ゴジラが人類のおこがましさの象徴だとすると、この作品における巨大怪獣の存在も同様なもので、いかにしてこの巨大怪獣を倒すかというのが焦点となる。巨大怪獣をようやく倒してハッピーエンドを迎えるのかと思いきや、一気に奈落の底まで突き落とされるこの絶望的な真相をもつこの作品はこのまま埋もれさせてしまうには惜しい作品だ。
次の作品も大いに期待をしたのだけれども、作者はこの一作だけで沈黙してしまい今の時点で商業ベースで出た作品はこれ一冊かぎり。 - 『七つの海―岩泉舞短編集』岩泉舞
ジャンプのホップ☆ステップ賞を佳作受賞してデビューしながらも、最後まで連載作品を描くことなく短編だけ描いて、一冊の単行本のみ残して消えてしまった。1999年になって突如復帰し、何作か発表をしたのだが本格的に復帰したというわけでもない。復帰するまでの間の単行本未収録だった作品もふくめて、それらの作品はいまだに単行本としてまとまっていない。
鳥山明の影響を受けているような絵柄で、その作風は高橋留美子を彷彿させる。
人気があれば物語が破綻しても連載が続けさせられた当時のジャンプにおいて、連載されることなく読みきり短編が時々掲載されるだけだったということは、連載が決定となるほどの人気がなかったのか、それとも編集部も作者も連載するということにさほど意欲がなかったのか、それは定かではないけれども、今となってはこの一冊がこの世に出た事そのものが奇跡のようなものではないかと思うことがある。 - 『ラヴァーズ・キス』吉田秋生
鎌倉を舞台とした高校生の複雑な恋愛模様。映画化もされた『海街Diary』と登場人物と舞台がリンクした設定だが、こちらのほうが先に描かれているので、『ラヴァーズ・キス』だけ読んでもまったく支障はない。
一人の少年の存在を中心に大きくわけて三つの物語が語られる。最初の話は、里伽子という高校生の少女があまり良い噂のない同級生の少年、藤井を好きになってしまう話。最初はちょっとだけ気になるだけの存在に過ぎなかったのが、藤井にまつわる噂が噂でしかなかったことを知り、彼の本当の姿を知ることによって徐々に彼のことを好きになっていく。これがBoy Meets Girlの話。
続く話は、藤井の事が気になってしまう後輩の少年、鷺沢と、その鷺沢を好きになってしまう後輩の少年、緒方の話。物語の中盤、鷺沢が緒方に好きだということを告白されることによって鷺沢は、藤井に対する自分の気持ちがなんだったのかを理解する。これがBoy Meets Boyの話。
最後は里伽子の友人、美樹と里伽子の妹、依里子の話。姉に対してギクシャクとした感情しか持てなくなった妹の依里子は美樹のことを好きになってしまう。しかし、美樹の気持ちは里伽子に向いていることを知ってしまう。これがGirl Meets Girlの話。
それぞれの話は同時進行しているので、最初の方の話での何気ない会話の裏に、その人が本当はどんな気持ちでそのセリフを言ったのかということが明らかになり、読みおえてもう一度さいしょから読み返したくなる。エピソードを積み重ねていくうちに少しづつ登場人物をとりまく全体の様子が浮かび上がってくる語りのうまさは職人芸的なうまさでもある。
ついでに『海街Diary』との関係に関しても書いてみよう。
『ラヴァーズ・キス』と『海街Diary』。20年近く隔たれて描かれた二つの作品を並べて読みなおしてみると、『ラヴァーズ・キス』の世界と『海街diary』の世界がリンクしているのはさすがにちょっと無理がある感じもする。そもそも同じ人物であるのに絵柄が異なる、というのはそんなに問題ではないけれども、『ラヴァーズ・キス』が等身大でのヒリヒリとした切実な描かれかたであるのに対して、『海街diary』は大人の視点から見た子供、いうなれば作者の、浅野すずに対する視点と同じ視点でもって描かれる藤井朋章という人物像は一人の人間を別の角度から見るという点においては新鮮である反面、続けざまに読むとそのギャップの大きさは受け入れがたいという部分もある。そういう点では、この二つの作品は20年という時間を経たファンに向けての作者からのちょっとした贈り物なのかもしれない。
オリジナルは全2巻だが後に一冊にまとめられた新装版がでている。 - 『スターダストメモリーズ』星野之宣
星野之宣ならば『2001夜物語』全2巻を選びたいところだが、あえてこちらの方を選んでみた。
『2001夜物語』は終盤の展開が駆け足的になってしまい、それまでのゆったりとした壮大な雰囲気とは違ってしまったのが難点と、基本的に相互につながりのない短編ではあるものの、いくつかの話では共通の人物が登場したり、もちろんバックボーンとなる世界の設定は共通のものであるので、そういった設定がバラバラなSF短篇集というわけれはなく、宇宙に進出した人類の行末を描いた未来史でもあるせいもあってSFが好きな人であれば楽しむことができるだろうけれども、あまり好きでない人にとっては全2巻のこのボリュームを読むのはちょっとつらいかもしれない。
それに比べると1巻で終わっているこの『スターダストメモリーズ』はポスト『2001夜物語』といっても構わない内容でありなおかつ純粋な短篇集なので気軽に読むことができる。
中でも「セス・アイボリーの21日」は傑作。
主人公セス・アイボリーは、とある惑星で遭難してしまう。そくざに救難信号を発信し救助隊に助けを求めるのだが、助けが来るまで21日間かかってしまう。もちろんそれだけだったらよかったのだが致命的までに問題だったのはこの惑星の特異な現象で、1日で5年分の老化が進んでしまうのである。延命手段の発達した未来ではあるが最大限に延命処置をしたとしても12日目で彼女は老衰で死んでしまう。そこで主人公は自分のクローンを作ることを考える。自分が死んでも自分のクローンは救助されるはずだ。
だが最初のクローンは救助される前に老衰で死ぬ運命にある。実際に助けられるのは二代目のクローンなのだ。最初のクローンの人生は、自分のクローンを作り出し、救助させるためだけの人生なのである。
では、最初のクローンは捨て駒としての人生なのだろうか。この物語の本当の凄さは、彼女の約1800倍の長さの時間を生きている僕達も実は彼女と変わらないということを理解させてくれるところにある。 - 『最果てのアーケード(1)』小川洋子(作)、有永イネ(絵)
- 『最果てのアーケード(2)』小川洋子(作)、有永イネ(絵)
一話完結の連作短編なのだが、主役も登場人物も共通でありながら次の話では主役が子供の頃の話だったりと時系列がバラバラで、あからさまに何か仕掛けがあるという雰囲気をかもし出している。もっともその仕掛けは主人公をめぐる物語を少しずつ明らかにさせていくという程度のものなのだが、先に語られたエピソードが後の話で結びつくとき、ああ、あれはそういう意味だったのかというちょっとした驚きを与えてくれる。原作もそういう構成になっているのかは未読なのでわからない。
最果てというのは空間的な意味であると同時に、ここでは時間的な意味も持つ。つまり一番最後に訪れる場所ということだ。それ故にどの話も、やんわりと死の影が漂い、悲しさが横たわっている。
百科事典を書き写す男の話が一番気に入った。男が書き写す百科事典では「し」の項目が一番多く、「し」だけで一冊が終わっている。それは世界が「し」に満ちているからだ。
そして「し」は「死」につながる。
改めて小川洋子の発想の凄さに恐れ入ったと同時に、それを漫画にして受け止めた、漫画そのものを描き始めてまだ二年目という新人の有永イネにも驚いた。 - 『さんさん録』こうの史代
こうの史代といえば『夕凪の街 桜の国』か『この世界の片隅に』全2巻を選ぶのが妥当なところなんだけれども、それじゃあ当たり前すぎて面白くない。ということでそれ以外に何かないかと考えてみたけれど、基本的に、こうの史代の作品はどれも面白く、しかも五巻以内で完結しているので全作品を選んでも問題なくなってしまう。あえて先の2作以外となるとこの『さんさん録』が意外といけるんじゃないかと思うのは、僕が老人が主人公の漫画に弱いせいもあるかもしれないのと、作者にとっては珍しく主人公が男であること。
主人公の名前は奥田参平。亡くなった奥さんは彼のことを「参さん」と呼んでいた。だからこの本の題名は「さんさん録」。妻を亡くした彼が息子夫婦と一緒に暮らしはじめるところから物語が始まる。
あらためて読みなおしてみても相変わらずうまいなあと思う。ここぞという所で使ってくる大ゴマも見事なんだけれども、それ以上に何気ない日常の切り取り方が素晴らしい。妻の残した「奥田家の記録」という生活レシピをたよりに慣れない主婦業に乗り出す主人公の姿は愉快でありかつ頼もしくもある。やもめになってしまうのは嫌だが、年老いたらこういう日常生活を送ってみたい。
息子夫婦と生活を共にし、「お父さん」とか「じいさん」などと呼ばれるようになり、「これで参平さんと呼んでくれる人はいなくなってしまったか」とつぶやくシーンがあるのだけれども、これは目から鱗が落ちる思いだった。今はまだ僕のことを名前で呼んでくれる人がいるのだけれど、いつの日か自分のことを名前で呼んでくれる人はいなくなってしまうかも知れない。そんな日が来たとき自分だったらどう感じるのだろうか……。
オリジナル版は全2巻だが後に1巻にまとめられた文庫版がでている。 - 『乙女ケーキ』タカハシマコ
マザーグースの童謡にこんな歌がある。What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all that’s nice,
That’s what little girls are made of.
女の子は何で出来てるの?
女の子は何で出来てるの?
砂糖 スパイス
素敵な何か
そんなこんなで出来てるわじゃあ男の子はなんで出来ているのかといえば、
What are little boys made of?
What are little boys made of?
Frogs and snails
And puppy-dogs’ tails,
That’s what little boys are made of.
男の子は何で出来てるの?
男の子は何で出来てるの?
カエル カタツムリ
小犬の尻尾
そんなこんなで出来てるさ女の子が素敵な何かで出来ているのにたいして、ずいぶんと扱いが違う。
タカハシマコの『乙女ケーキ』はそんな男の子と女の子の違いを思い知らされるような作品であるのだが、その最極北に位置する漫画がこの本に収録されている「タイガーリリー」だ。
この話の中で描かれるのは二人の少女。しかし描かれている姿かたちは少女であっても、実際の彼女達は年老いた老婆なのだ。彼女たちの会話は年老いた老人同士の会話である。
素敵な何かで出来ている女の子は、たとえ年老いても少女のままなのである。 - 『へんなねえさん』吉富昭仁
まず、最初にナルシストの女子高生の話が始まる。
ナルシストな彼女の部屋には大きな姿見があるのだが、この姿見は24時間前の自分の部屋につながっている不思議な鏡だ。
で、この鏡を使って彼女が何をするのかといえば、24時間前の自分に会いに行ってそしてエッチな事をするのだ。自分自身とエッチな事をするというのは自慰なのか自慰じゃないのかよく分からないという以前にくだらなさすぎる展開なのだが、その次の日は何をするのかといえば24時間先の自分がやってくるので同じようにエッチな事をする。そんなバカバカしい話でありながら、授業で行われた抜き打ちテストの答案を過去の自分に渡すということはちゃっかりしているのだが、この答案は未来の自分からもらった答案である。ではこの答案はいったいだれが書いたものなのだろうかというタイムパラドックスも抜け目なく描いている。
続く次の話は、透明になることのできる薬を手に入れた少女の話。この薬は効果時間の異なる何種類かの薬に分かれていて、彼女はその組み合わせによって好きな時間だけ透明になることができる。
で、透明になって何をするのかといえば、全裸になって町をうろつくのだ。
表題作は、ある日我が家にお姉さんがいることに気づいた少年の話。自分の記憶に間違いがなければ今まで15年間、自分には姉などいなかったはずなのに、何故かいる。両親も当たり前のようにその姉を家族として接しているし、過去のアルバム写真を見ると、小さいころの自分と姉が仲良く一緒に写っている写真が何枚もある。姉などいないと思っていた自分のほうが間違いなのだろうか。
数日後、全裸に近い格好で眠っている姉の背中にジッパーがあることに気づく。おそるおそるジッパーを下げ中を覗いた少年の驚きの顔で終わるページ。次のページをめくると、翌朝少年が目覚めた場面で、全ては夢だったのかと安心しつつ居間へ行くと姉はいた。姉の存在だけは夢ではなかったようだ。
どの話もエッチな女の子がでてきてエッチなことをするけれども、ちょっとだけ不思議なことがある。
ちょっとだけ不思議な部分を見なかったことにすると、読む必要もないほどくだらないというかこの作者、どっか頭がオカシイんじゃないかと思いたくなる話なんだが、読み進めていくと、バラバラだった話が一つにまとまり、想像の斜め上をいく思いもよらない展開になっていく非常に凝った構成なのだ。もちろんその驚きの展開もどっか頭がオカシイんじゃないかっている展開なのだが。 - 『マドモアゼルモーツアルト』福山庸治
もしもモーツアルトが女性だったとしたら。という大胆な発想のもとに描かれた漫画がこれ。だからといって実際のモーツアルトという人物がどういう人物だったのかを知らなくっても全然大丈夫である。逆にモーツアルトという人物がどういう人物だったのかを知っていればいるほど福山庸治が描いてみせたこの大胆な発想のほうが真実ではなかったのかとさえ思わせられる。
福山庸治というと不条理でシュールな展開が特徴のひとつで、それ故に人を選ぶきらいもあるのだが、この作品は少し抑え気味なので嫌いな人でも大丈夫だ。
女性として生まれたモーツアルトは彼女の音楽の才能を見出してしまった父親によって男性として育てられてしまう。モーツアルトの才能を妬むサリエリや、モーツアルトに求婚する女性たち。そして事もあろうにモーツアルトは結婚までしてしまうのである。音楽を奏でるシーンはそれほど多くはないのだが、逆に、音楽の無いシーンにおいても背景の向こうから音楽が聞こえてくるような感覚さえ生み出す構図とコマ割りはそこで語られる物語以上に読んでいて、いや読むことの楽しさを味あわせてくれる。
オリジナルは全3巻だが後に一冊にまとめられた箱入り豪華版がでている。 - 『五色の舟』津原泰水(作)、近藤ようこ(絵)
原作小説と漫画の良き融合というか理想的なコミカライズの一つの形がこの一冊。
一般的に漫画で絵がうまいというと、整った絵のことを指す場合が多く、そういう点では近藤ようこの絵は整ってはいない。でも、この表紙の絵を見ただけで何故か泣けてくる。もちろんそれは原作を読んでいるからでもあるだろうけれども、表紙を見ただけでも期待感が高まってくるし、気にもなる。うまい絵だ。
そもそも、文庫で30ページ程度の短編を単行本一冊のボリュームに膨らませるのだから、どこをどのように描き足しているのか気にならないほうがおかしい。
で読んでみると、書き出しこそは原作と異なる書き出しなのだけれども、内容はというと原作にかなり忠実で、さらにはどこを足したのかわからないくらいに足された部分が違和感なく描かれているのに驚いた。
描かれている題材が題材だけにいわゆるフリークスである主人公たちを絵で表現されるとそのインパクトは大きいのだが、近藤ようこの絵柄だからこそ、そのインパクトの質が単なる見世物的なレベルではない、純粋な物語としてのインパクトの大きさにつながっている。 - 『スーパーマン:レッド・サン』マーク・ミラー(作)、デイブ・ジョンソン(絵)
日本の漫画ばかりでは片手落ちなので、海外の漫画からも選んでみよう。といってもそれほど多くの作品を読んでいるわけではないので、海外の漫画のごく一部ということになってしまう。
海外の漫画といえばまずはアメコミだ。で、アメコミといえばスーパーマン、バットマン、スパイダーマンの三人が日本ではベスト・スリーだと言い切っても間違いはあるまい。
とはいえど、この人気のヒーローが活躍する漫画から何を選ぶのがいいのかというと圧倒的に読書量の少ない身としては困ってしまう。なのでちょっと変則的な作品を選んでみることにした。
『スーパーマン:レッド・サン』はスーパーマンがアメリカで育ったのではなくロシアで育ったとしたらというIFの物語だ。
スーパーマンは赤ん坊の頃に地球にやってきた宇宙人である。
もし、スーパーマンが乗ったカプセルがアメリカのカンザス州に着陸しなかったとしたらどうなっていただろうか。地球にたどり着くのが12時間ほど遅れるか、進んでいたとしたらスーパーマンの乗ったカプセルはアメリカではなくロシアのどこかに着陸し、ロシア人に育てられたかもしれない。
この漫画は、スーパーマンがロシアで育ちロシア人として成長したらどのような物語になっていっただろうかということを描いた漫画だ。
この漫画ではスーパーマンの幼少期は描かれないので、スーパーマンがどのような教育を受け、どのように成長したのかは不明なのだが、この漫画におけるスーパーマンは共産主義者でありながらも資本主義を敵とみなすわけでもなく、困っている人がいればその困っている人がどこの誰でも助けようとする。
その点で、ロシア人として育ったスーパーマンであってもアメリカで育った本来のスーパーマンと根底の部分では同じであり、根底が同じでありながらも育った環境によってここまで異なる行動をすることになるというシミュレーション的な要素も存在する。
他のアメコミと同じくページ数はそれほど多くは無いのだけれども、物語の密度が濃く、スーパーマンとその敵であるレックス・ルーサーだけではなく、バットマンやワンダーウーマン、グリーン・ランタンも登場する。中でも、この漫画におけるバットマンの立ち位置が面白く、バットマンはスーパーマンの築いたある種のユートピア国家に対して反体制的な立場に立つ。
何が正義なのかという問題と、より良い世界にしようとする自分の行為が人々に受け入れられないという問題、そして結果として、恐るべき超人的な能力を持ちながらも、傍観者として見守り続ける道を選ぶしかなかったという結末は、スーパーマンに影響を与えたと言われているフィリップ・ワイリーの『闘士』と同じ物語になったという点で興味深い。 - 『フラッシュポイント:バットマン』ブライアン・アザレロ(作)、スコット・シュナイダー(作)、ローウェル・フランシス(作)、トニー・ベダルド(作)、エドゥアルド・リッソ(絵)、ジーン・ハ(絵)、ヴィンセント・シフエント(絵)、アルディアン・シャフ(絵)
スーパーマンの次はバットマンの物語を選んでみよう。
『フラッシュポイント:バットマン』は短篇集なのでバットマン以外のヒーローも登場するのだが、こちらも前回の『スーパーマン:レッド・サン』と同様、IFの物語だ。
バットマンは子供の頃に両親を目の前で殺されたことから犯罪を憎むようになり、大人になってバットマンとして悪人と戦うようになったヒーローである。
ここでもし、バットマンの両親が殺されず、バットマン自身が子供の頃に殺されていたとしたらどうなっていたのだろうかという話がこの『フラッシュポイント:バットマン』だ。ちょっとまて、ここで誰もがこう思うだろう。バットマンが殺されているのにバットマンの物語が成立するのだろうか。しかし、こう考えてみて欲しい。両親を殺された息子がバットマンになるのであれば、息子を殺された父親がバットマンになってもおかしくはないのだと。つまり、この物語でバットマンになったのはブルース・ウェインではなく、本来の歴史でジョーカーによって殺されていたバットマンの父親、トーマス・ウェインなのである。そしてこの物語ではさらにそこにバットマンでは有名な悪役、ジョーカーの物語が混入され、その結末は驚愕というか、こういう設定にしたのであればこれ以外の解釈と結末は考えられないというところに物語が着地するのである。
この本に併録されているのはスーパーマンとアクアマンの物語の二編だ。日本ではアクアマンは殆ど知られていないので読んでもあまりおもしろくはないがスーパーマンのほうは赤ん坊だったスーパーマンを載せたカプセルがカンザス州の田舎ではなく、大都市メトロポリスに落ちたとしたらどうなっていただろうかというIFの物語。短編なのであっさりとしているが、大都市に落ちたせいで35000人もの犠牲者をだしてしまったスーパーマンがどのようになったのかという物語は陰惨な物語でしかない。 - 『スパイダーマン:ブルー』ジェフ・ローブ(作)、ティム・セイル(絵)
アメコミのヒーローを三人あげなさいという質問があったとしたら、日本人の場合は、スーパーマン、バットマン、そしてスパイダーマンをあげるだろう。
僕はこの中で一番好きなのはバットマンでその次がスーパーマンなのだが、スパイダーマンはあまり好きではない。
何故なのかと言われると返答に困るのだけれどもやはりあの風貌が好きではないからだと思う。なのでサム・ライミ版の方の映画は三作とも観たけれどもコミックの方は読んだことがない。等身大の悩みを抱えたヒーローという設定は決して嫌いなわけではないのだけれどもコミックまでは読みたいとは思わないのだ。しかし何事にも例外はある。ということでアメコミ・ヒーローの最後はスパイダーマンである。
『スパイダーマン:ブルー』は先に紹介したスーパーマンやバットマンのようなIFの物語ではない、あくまで正統派の物語だ。悩めるヒーローであるスパイダーマンの、文字通り悩める、そして切ない恋の物語だ。サム・ライミ版の映画ではスパイダーマンの恋人はメリー・ジェーン(MJ)なのだけれども、新たに作られた『アメイジング・スパイダーマン』のほうではグウェン・ステイシーが恋人となっている。どちらが正しいのかといえばどちらも正しい。スパイダーマンの最初の恋人がグウェン・ステイシーでそして結婚するのがメリー・ジェーンだ。『スパイダーマン:ブルー』ではメリー・ジェーンと結婚した後のスパイダーマンが過去を振り返るという物語となっている。正直な話、ティム・セイルの絵はそれほど好きではないけれども、ジェフ・ローブとティム・セイルのコンビにおける物語は叙情的で、読んでいるうちに絵柄の好き嫌いなどどうでも良くなってくるし、ティム・セイルの絵は時として一枚の絵としてハッとさせられる輝きを持っている。このコンビは他に『スーパーマン・フォー・オールシーズン』も描いていて、こちらもまた素晴らしい作品だ。 - 『となりのロボット』西UKO
女の子同士の恋愛物語、いわゆる百合物でありながら、主人公が好きになる相手はロボットである。
人がロボットに恋してしまうという物語は過去にも存在していたが、それは異性としての恋愛対象の変奏であり、同性に対する恋愛を描いたものは僕の知っている限りではこの物語が初めてだ。僕が知らないだけで、他にもあるのかもしれないが、同性に対する恋愛としたことで好きという気持ちの心の揺れ具合が見通しの良い物語になっている。
さらにはロボットと人間の間に恋愛感情はありえるのかという以前に、恋愛が成立するのかという疑問も含めて、それらを成立させる手続きの部分がきちんとしたSFとして成り立っているところも好感が持てる。
アプローチの仕方としてはロボットの恋愛というよりも人工知能の恋愛、いいかえれば人工知能は感情を持ちえるのかということに対するアプローチなんだけれども、逆にいえば、人が誰かを好きになるということはどういうことなんだろうかという問題を解き明かそうとしている物語でもある。もちろんそんな小難しいことと考えなくても楽しむことはできるし、小学生の時に好きになった相手との恋愛を、大人になってようやくかなえることのできたひとりの少女の物語として愉しめばいい。
読みおえて、好きという気持ちはいったい何処から生まれてくるのだろうかと考えてみたくなる。 - 『平凡倶楽部』こうの史代
こうの史代の過去の作品を見てもわかるけれども、こうの史代という人はコマ割を変えたり技法を変えたりとさまざまな実験をする。シリーズ漫画においても時々そのようなことを行い、それでいてけっして破綻しない。
で、今回は驚くことに毎回手法を変えているのだ。
よくもまあここまでアイデアが出せるものだと感心するというか、ここまでくると感心するなどもってのほかで、読んでひれ伏すしかない。
その昔、「わしズム」に掲載された「古い女」を読んで、こうの史代の恐ろしさをまざまざと思い知らされたことがあった。「古い女」は一般的な漫画用の原稿用紙に描かれているのではなく、チラシの裏に描かれているのだ。なのでうっすらと広告が透けている。今回、その「古い女」も収録されていたので、読み直してみたのだがその衝撃度に変わりはなかった。その他の収録作品も、エッセイということでほのぼのとした内容が大半でありながら、そのこうの史代の視点の面白さと同時に恐ろしさも存在していることに気付いた。 - 『少女・ネム』カリブ・マーレィ(作)、木崎ひろすけ(絵)
五巻以内で完結している漫画というくくりなのに完結していない漫画を選ぶのもどうかとも思うのだが、物語の終わりというのはいったいなんなんだろうとも思うことがある。作者が描きたいと思ったところまで描かれた時点でその物語が終わるのが理想的な終わりであることは確かなんだけれども、作品は作者一人の物でもない場合が多い。作者はここまでで十分だと思っても、読者は満足しない場合もあるし、商業出版の場合は途中で打ち切りや、引き伸ばしということも行われる。しかし、どんな形であっても最後の1ページにいたるまでの部分が面白ければ、物語として途中で終わってしまっていたとしても構わないんじゃないかと思う。というわけで、未完だけれども文庫で全3巻、最後の1ページまで面白い、山田芳裕の『度胸星』全3巻を挙げようと考えていたのだが、連載打ち切りとなったとはいえ、ひょっとしたらこの続きが描かれる可能性はゼロではないので、断念した。いっぽうで、木崎ひろすけの『少女・ネム』の場合、作者が既に亡くなっているのでこの物語の続きが描かれることはない。
スクリーントーンを使わず、アシスタントも使わず、ホワイトによる修正の後すら無かったという原稿。
登場人物は見た目は猫を擬人化したキャラクターとして描かれているが、特にそれが物語上で何らかの意味を持っているものではない。おそらく描く題材が自分に近すぎる題材だったから、人として描くのではなく擬人化した猫として描いていたのかもしれない。漫画を描くことの好きな内気な少女ネムがかつては漫画家でありながらも途中で挫折してしまった青年と出会うことによって漫画家を目指していくという物語は、やがて主人公が青年に恋していくという過程や、青年が主人公の才能に劣等感を感じて主人公のもとを去っていくという流れといい、物語そのものはそれほど目新しいものではないが、そもそも物語はようやく動き出したというところで中断してしまっているので物語そのものに対しては評価のしようもない面もある。しかし、物語はそこで中断してしまっていても、そこに描かれている木崎ひろすけのそっと触れなければ壊れてしまうような繊細な世界は依然としてそこに存在し続けている。原作者のほうはまだ存命でいまも精力的に活躍中ではあるが、この物語の続きが別の描き手によって描かれたとしてもそれはこの作品とはまったく別の作品だ。
そう言い切ってしまってもいいほど木崎ひろすけの絵は唯一無二の絵なのである。
原作者カリブ・マーレィは狩撫麻礼の別ネーム。狩撫麻礼がこの名義で発表した作品はおそらくはこの一冊。 - 『神州纐纈城(上)』石川賢
- 『神州纐纈城(下)』石川賢
前回の『少女・ネム』は未完の物語だったが、未完の漫画ではなく、未完の小説に手を加えて完結させてしまった漫画がある。作者の死によって未完になってしまった作品を別の作家が完結させた小説というのはそれほど珍しくはないが、この作品のように未完の小説を漫画で完結させたというのはかなり珍しいのではないだろうか。しかし、未完の帝王でもある石川賢が未完の原作を漫画化して完結させたという点では少し皮肉めいた部分もある。
国枝史郎の『神州纐纈城』でありながらもいつもの石川賢の世界観が全開。原作を忠実に漫画化する気などさらさら無く、いうなれば原作に対してオレの方が数倍面白く描けるんだと言わんばかりの展開は、これはこれでもう一つの『神州纐纈城』であり、原作で物足りなかった部分がこちらで補完されている部分もあって読んでいて楽しい。
纐纈城の謎やその他諸々の謎に対して石川賢が描いて見せた展開は石川賢の世界でもありながら、原作を先に読んだ身としてはそこまで話を広げるかと驚くばかりで、ここまで話を広げてくれたならば満足だと言いたい一方で、辻褄が合いすぎて逆に物足りなさを感じてしまうのは読者のわがままかもしれない。
しかし、ラストシーンをしっかりと原作の終わりと対応させたのはお見事で、原作では未完となったラストシーンが石川賢版『神州纐纈城』では完結した物語のラストシーンとなっているのである。 - 『トランスルーセント 彼女は半透明(1)』岡本一広
- 『トランスルーセント 彼女は半透明(2)』岡本一広
- 『トランスルーセント 彼女は半透明(3)』岡本一広
- 『トランスルーセント 彼女は半透明(4)』岡本一広
- 『トランスルーセント 彼女は半透明(5)』岡本一広
5巻以内で完結する漫画というくくりで始まったこの一連の記事だが、その中でこの制約の巻数を目一杯使った唯一の漫画がこの漫画。かといってこの漫画を紹介したかったから5巻という制約を設けたというわけではないが、できるだけ多くの漫画を紹介したいと思うなか、5巻まで使っている漫画はできるだけ省いていったわけだが、どうしてもこの漫画だけは外すことができなかった。
体が徐々に透明になってしまう原因不明の奇病「透明病」に罹ってしまった少女の物語。透明病に罹ってしまったのは主人公の少女だけではないので物語が進むにつれて同じ病気で苦しむ人達も何人か登場するのだが、この透明病、一気に体が透明になってしまうのではなく、透明になってしまう時間が少しずつ増えていき、最終的に完全に透明になっていってしまうという設定である。何時自分の体が完全に透明になってしまうのかという不安と、思春期の少女達が持つ普遍的な不安の感情とが共存して奇跡的ともいえるバランスでもって良質の青春物語として成立している。
惜しむらくはデッサンがあまりうまくなく、絵としてのバランスがとれていないコマが多いので、そのあたりで絵柄として受け付けない人も多いかもしれないが、実際に読んでみると、その下手さの部分も物語のうまい味付けの一つ、つまり思春期の少年少女のあやうさという部分をうまく表現しているんじゃないかという気にもなってくる。
単純にうまい絵だけが傑作となるわけではない。
コメント
いつも楽しみに拝見しています。
作品番号と感想が重複しているようですので、お知らせまで。
5.6~7.8『最果てのアーケード』小川洋子(作)、有永イネ(絵)
最近こちらの更新が減って残念ですが、無理のない範囲で続けて頂ければうれしいです。
ご指摘ありがとうございます。
まとめる際に間違ってコピーしてしまったようです。
こうの史代の『平凡倶楽部』が抜けておりました。
ほとんど更新できなくなってしまったこちらのサイトなのですが、楽しみにしていただいているようで申し訳ないです。
せめて1ヶ月に一度くらいのペースで更新したいな、とは思っているのですが……