五月はものみなあらたに


ほぼ毎日珈琲を飲む。
朝起きて一番最初にすることは、前日の夜に用意しておいたペーパードリップのフィルターに珈琲の粉を入れることだ。
学生時代は時間があり余っていたので、手挽きのミルで豆を挽き珈琲を入れていた。社会人になってからもかなり長いことそうしていたのだが、手挽きのミルが壊れてしまったのをきっかけに豆を引いて入れることはやめ、予め挽いてある豆を買ってきてドリップだけするようになった。
まあ、それだけ時間の余裕が無くなってしまったということもあるのだが、他にしなければいけないことが出来たせいもある。
学生のころは上にハンドルのついている一般的なミルを使っていたのだが、安物だったので蓋がついておらず、挽くと割れた豆がポンポンと飛び上がってあたりに散らばってしまった。おまけに軽いので安定性も良くなく、どうしていたかといえば床の上に新聞紙を敷いてその上で両足でミルを抑えるようにはさみ、ハンドルを回し、挽き終わった後で新聞紙の上に散らばった豆を再度ミルの中へ入れ、ハンドルを回すという、優雅とは程遠い状況で珈琲豆を挽いていた。
やがてそのミルもガタが来て、今度は横にハンドルのついている少し高いミルを購入した。こちらは蓋がついているので豆が飛び散らないし、適度な重さがあったのでテーブルのうえでガリガリと挽くことができた。
手挽きのミルの良さというのは時間との引き換えであり、挽くという行為そのものに楽しみを得ることができなければ苦痛でしかない。
僕が初めて珈琲豆を挽くということを知ったのはオトフリート・プロイスラーの『大どろぼうホッツェンプロッツ』という本を読んだことだった。この中で手挽きのミルが登場する。
それは主人公がおばあさんのために改良したミルで、ハンドルを回すとおばあさんの好きな「五月はものみなあらたに」という曲が流れ出すミルである。
このミルを大どろぼうホッツェンプロッツが盗んでしまうことからこの物語は始まるのだが、大泥棒が盗もうとするくらい素敵なミルというものが子供の僕には強く印象を残したのである。
いつかこんなミルで豆を挽き珈琲を入れて飲んでみたい。
さすがに音楽の鳴るミルを手に入れることはかなわなかったし、自作しようにも「五月はものみなあらたに」を演奏するオルゴールも手に入らない、そもそもこの「五月はものみなあらたに」がどんな曲なのかもわからないのでは手の出しようもなかった。今ならばネットで検索すればどんな曲なのかくらいはすぐに分かるのだが、当時はネットなどなかったので知る手段もなかったのだ。
そんなわけで、豆を挽いていた時には「五月はものみなあらたに」がどんな曲なのかを想像しながらハンドルを回すこともしばしばあったが、後年、この曲が日本では「ちょうちょ」の曲として知られていたことを知った時にがっかりしたことを思うと、世の中には知らないほうが楽しいこともあるものだと思うのである。

コメント

  1. はじめまして
    「大どろぼうホッツエンプロッツ」大好きでしたから、「五月はものみなあらたに」のタイトルにびっくりして飛んできましたところ、「ちょうちょ」のくだりで同じくがっかりしました(いまさら、ですが)
    アップルシュトーデル、ザワークラウト、ソーセージ、じゃがいものからあげ、きのこのシチュー……
    こども心に、外国の食べ物へのあこがれが強くなるいっぽうでした
    なんて、勢いで書き込んでしまいましたが、これからも楽しみにしています
    どうぞよろしくお願いします

  2. Takeman より:

    とらとらったったさん、コメントありがとうございます。
    「大どろぼうホッツエンプロッツ」はおもしろいですよね。
    「ちょうちょ」が悪いわけではないのですが、「五月はものみなあらたに」とくらべてしまうと子供心にはその落差がはげしかったです。

  3. ほんと、おもしろかったです
    「ふたたび」「みたび」と何度も読み返しました
    って書いていたら、また読みたくなってきました
    それではまた

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