傷つけ合う言葉

奥さんが猫をいじめているという旦那さんのブログを読んだ。
これだけならば、ひどいことをする人だということで終わってしまうのだが、この奥さんは統合失調症である。
つまり僕と同じような境遇の人のブログであったわけだが、この記事に付いたコメントを読んでとても悲しくなってしまった。
そのコメントは猫をいじめるなんて許せない、奥さんにも同じ目にあって欲しいという内容のコメントであった。
もう一つのコメントはそこまでひどいものではなかったが、その人も同じような病気を抱えている人で、自分はそのようなことはしないという内容だった。
確かに自分よりも弱い存在の生き物をいじめるということはその人が病気だからといって許されることではない。
しかし、その人が何故弱い生き物をいじめるのかというのはその人が統合失調症である場合、その理由を知ることは難しく、また同時にそれを止めさせるということも困難である。
同じ境遇の身としてはその記事を書いた旦那さんの、書かざるをえない気持ちが痛いほどわかるし、だからこそ傷口に塩を塗るようなコメントを読んでとても悲しくなり、あまり自分を責めずにご自愛くださいとコメントを書いてしまった。人の非を非難することは容易いが、後悔しているのであればそれ以上他人が追い打ちをかけてまで非難するのはどうかと思うのだ。
しかし、問題はその後だった。
僕の書いたコメントに、自分はそうしないというコメントをした人から、厳しいコメントをしたわけではありませんというコメントが付いたのである。
おそらく僕の書いたコメントは、その人にとって自分を批判するようなものとして受け止められてしまったのだろう。
僕が語りかけたのはブログを書いた人に対してであって、コメントを書いた人ではない。しかし、どうであれ同じ病気を抱えている人に対して責めてしまった結果となってしまったのには違いない。
僕の妻も時として僕の言いたいことをうまく受け取ってくれないことがある。そういうときはどんなに言葉を費やしても会話が成立しない。
ほんの何気ない言葉が、あるいは何気ない仕草が妻を傷つけてしまう。
どうして、弱い物同士でこんなにも傷つけあってしまうのだろうか。
どうしたら人を傷つけない言葉を使うことができるのだろうか。

コメント

  1. そうおもいます より:

    いわれるとおりですね

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