こんな記事を見つけた。
30人に1人はビジネスホテルの電気ケトルで小便を沸かしたことがあるらしい
休むべき場所でありながら気安く休めることができないというのは、にわかには信じがたい内容、というよりも信じたくない内容である。
で、昔、ネットでたまたまこんな質問を見かけたことを思い出した。
「おしっこを入れたコップは、何回洗ったら食器として使えるか」
真面目に答えるとすると、何回かというのは誰のおしっこか、もしくはそれがそのまま放置されていた期間によって洗う回数が異なるだろう。
自分自身、家族、そして他人。この順番にそって洗う回数は増えていくはずだ。
そういえばかつて、飲尿健康法というのは流行ったことがあった。効果の程はさだかではない、というか身近な存在でこの健康法を実践していた人は知らないし、仮に実践していたとしてもそれを公言するかというとはなはだ怪しい部分もある。ひょっとしたらいまでも実践している人がいるかもしれないが、そういう人は自分のおしっこを入れたコップであれば洗わずにそのまま使うだろう。
他人のものよりも自分の物のほうが我慢できるというのは、自分の排泄物の匂いならば我慢できるけれども他人の排泄物の匂いは我慢できないというのと同じようなことかもしれない。それだったら自分の物ならばもう少し毛嫌いせずに対応できるように体が変化していってほしい気もするが、根本的に排泄物というのは自分の体に不必要なものなので、それに対して嫌悪感を抱くというのは体の反応としては正しいのだろう。自分の匂いならば少しは我慢できるだけましなのかもしれない。
いや、そもそもうんこやおしっこの話題に興味をしめすなどと、まるで子供のような反応をするのは、我ながらもう少し大人になったほうがいいのではなかろうかとも思うのだが、歳を取れば自分の下の世話を他人に任せなければいけなくなる可能性が出てくる。必然的にその日が訪れることに対して少しは考えなければいけなくなってくるのである。子供の頃はうんこやおしっこの話題で無邪気に面白がることができたのだけれども、歳を取ると切実な状況で話題にしなければいけなくなるのは少し悲しいが、歳を取るということは子供に戻るということでもあるという考え方もある。
それを思うと、こういう話題を出すのはあながち間違いではないのかもしれない。
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