一般的にコンピュータというのは間違えないという捉え方をされていると思う。
確かに、足し算、引き算といった四則演算をさせた場合などは何千個の数字を足し算をさせたとしてもその答えを間違えることはない。
そういった点ではコンピュータは間違えないのだが、例えばスマートフォンなどはコンピュータの一種であるけれども、使っていると時々かってに再起動がかかってしまったり、あるいは使っているアプリが突然終了してしまったりすることがある。これはプログラムのバグでもあるけれども、同時にコンピュータは間違えるということでもある。それでは、この場合の間違いは誰の責任なのかといえば、そのプログラムを作った人の責任でもあり、人間のせいでもあるといえる。
最近、人工知能を搭載した物がいろいろと登場するようになった。お掃除ロボットであるルンバもその一種であるけれども、このルンバ、勝手に掃除をしてくれるのはいいけれども、それほど賢くはない。
家具と家具の境目で何度も何度も行ったり来たりして永遠にその場所をウロウロとしたりすることもある。これってコンピュータが間違いを起こしているということでもあるし、プログラムのミスでもあるといえる。
人工知能の研究もここ数年、ある技術的な革新があってもてはやされるようになったけれども、人間の脳の模倣を目指している部分があって、それは結局、人間はたまに間違えるということも模倣する結果となる。この手の人工知能の技術がいろいろな物に搭載されるようになると、便利になるけれども、その一方で、コンピュータも時々間違える、ということを許容しなければいけなくなることにもなるのだろう。
まあ、いまだってパソコンにしても使っていればいろいろとおかしな挙動をするようになるし、スマホだってそうだ。そうなったらそうなったで再起動すれば、とりあえずなんとかなる。
しかし例えば、自動運転できる車が出来たとする。そんな車ができたら、自分で運転する必要もなくなるので、運転中に寝ていたって構わない。少なくとも人間が運転するよりも安全だ。でもたまに間違える。
では、間違えて人を跳ねてしまって死なせてしまった場合、誰の責任になるだろうか。もちろんその車の持ち主の責任になる。けれども車の持ち主にしてみれば、ちょっと納得がいかない。なにしろ自分が運転していたわけではないからだ。だから、たまに間違えて事故を起こしてしまうような車を作った会社の責任にもしたくなる。あるいは、人工知能に任せっぱなしにして居眠りなどせずに、自分もいつでもハンドル操作できてブレーキを踏むことができる状態にしておけばよかったと後悔するかもしれない。結局、人工知能に任せっきりにしてしまうと、間違えた時にいつも以上に困った状況になってしまうということになってしまいそうな気もする。
ただし、これはあくまで自動運転する車を、人間も運転できる場合である。人間はまったく操縦することができない自動運転車だった場合は、タクシーに乗ったらタクシーの運転手が事故を起こした場合に近い状況になる。つまり、運転手は人工知能で、車の持ち主は運転手ではないという扱いだ。しかしそれでも事故の責任は車の持ち主になるだろう。
これは加害者の側から見た場合で、被害者の側から見た場合はさらに複雑になる。被害者は誰を恨めばいいのだろう、あるいは誰を憎めばいいのだろうか。
どちらにせよ、人工知能と共存するということは、たまに間違えるかもしれなくて、場合によっては間違えたことによる責任を負う必要もあるということで、それを許容できるかどうかという問題になるのではないか。
自動車の人工知能による自動運転の問題でいえば他にも、自動車を運転する以上は道路交通法を遵守しなければいけなく、法定速度を超えるスピードを出すことはできなくなる。となると実質的な問題として渋滞が発生しやすくなる。見通しの悪い十字路では徐行しなければいけないので、そういう場所では時速10km以下の速度に落とさなければいけなくなる。そのほか救急車などの緊急車両に対する対応なども考えるとなると、完全に人工知能に任せるくらいならば自分で運転したほうが手っ取り早いのではないかと思ってしまうわけで、それを考えると人間というのはさりげなくもの凄いことをやってのけているのだなあ。
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